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Chatworkの「人」「組織」を
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ChatworkのCNOは「元・なにわのあきんど」。誰よりも中小企業を愛し、全国行脚で関係性を作り続ける。

副社長執行役員CNO(Chief Networking Officer)の山口は、かつて自らも中小企業に勤務し、中小企業のお客様の期待に応え続けました。Chatworkには、ビジネスチャット「Chatwork」が生まれる前の2008年にジョイン。現CEOの山本正喜と苦楽をともにしてきました。55歳になった今、これまでのキャリアの軌跡や将来の展望を、ざっくばらんに語ってくれました。

■プロフィール

山口 勝幸
副社長執行役員CNO

大阪府出身。薬問屋、SI・制作会社勤務を経て、ITサービス提供事業会社でサービスと組織マネージメントに従事。2008年にChatworkに入社後、常務取締役に就任。2016年にCMO、2018年にCOO、2019年3月に取締役副社長COOに就き、ビジネス部門を統括。2022年4月副社長執行役員CNO(Chief Networking Officer)に就任し、社長補佐として経営判断および事業推進の支援、社内外ネットワークの発展を担っている。

就職先は大阪の中小の薬問屋。「なにわのあきんど」の経験が今につながっている

――どのような学生生活を送っていましたか?

勉強にも部活にも意義を見いだせず、どうしようもなく中途半端な子供でした。社会人となるタイミングで「仕事がラストチャンスだ、、」と意識して取り組みました。幸いにして当時のIT業界はまだまだ未熟で、自分でも活躍できる“スキ”があると感じ、自分の存在価値を形にすべく無我夢中で打ち込みました。目的のない学校の勉強よりも、相手に喜んでもらってお金をいただける仕事の方が性に合っている。そのことにはすぐに気づきましたね。

――最初はどのような仕事に就いたのでしょうか?

大阪証券取引所の近くの薬問屋で働きました。その会社が立ち上げたコンピュータの販売事業で、営業としてキャリアをスタート。このときの体験が仕事観のベースになっています。とにかく目の前のお客様のために必死にやる。毎日の売上にこだわる。日中に社内で会議をしていると、「そんな時間があったら、お客様のところに行ってこい!会議は早朝か夜にやれ!」と怒鳴られていました(笑)。まさに「なにわのあきんど」を地で行く環境でしたね。現在も、多くの中小企業のお客様とお取引がありますが、この頃の経験があるのでお客様と同じ目線で向き合うことができ、相手を心の底からリスペクトできていると感じています。

営業 兼 PMから、CTOに。部下として現ChatworkのCEO山本と出会う

――その後はどのようなキャリアを歩みましたか?

その後、課題解決のスキルを伸ばそうとSIerに転職しました。約10年に渡って、システムの受託開発の営業兼PMとして業務に携わりました。そのSIerも同じく中小企業です。自分で売ったものは、自分でプロジェクトマネジメントを行い、何とか納品にこぎつけていました。お客様も喜ぶ。エンジニアも喜ぶ。双方の笑顔をつくることに自分の存在意義を感じていましたね。

受託開発畑で10年以上経験を積んだ後に移ったのが、Webサイトを構築するパッケージソフトを展開する事業会社です。こちらは上場して間もない会社で、数千名が在籍していました。いわゆる「ド営業会社」で、システム開発スキルに長けている人が少なかった。社長に「山口、開発のこと分かるらしいな」と言われて、何とCTOを任されました(笑)。営業に持たせる武器をつくり、営業からサービス部門までの生産性を上げるためのオペレーションを組織横断で構築しながら、事業長たちと一蓮托生で牽引していく。一番大きな事業で成果を出したら、それを他の事業にも横展開させて全社規模に。これらの活動を、確信犯的にプロデュースしました。部分的に開発だけ請け負う受託事業とは違い、当事者となり事業と組織をフルコミットでグロースさせる、良い経験になりました。

そのときに開発部に新卒で入社してきたのが、現在のChatworkのCEOである山本正喜さんです。私は既に30代の半ばに差し掛かっていて、彼は新卒ですから、年齢は一回りくらい離れています。正喜さんはひたむきに開発業務に打ち込んで、新人賞を受賞していました。そのときに私も一緒に全社表彰を受けました。トップセールスマンだけが脚光を浴びる会社において「非営業」のコンビが揃って受賞。彼が壇上で嬉しそうに表彰状を掲げていた姿が思い出に残っています。

――今のChatworkのCEOと副社長が、当時は部下と上司だったのですね。

そうですね。正喜さんは大学在学中にお兄さんと現在のChatwork(当時:EC studio)を起業していて、1年くらいでその会社を辞めて、自身の会社に専念することに。同僚ではなくなったのですが、その後「山口さん、ウチの会社に来ませんか?」と何度も誘ってもらいました。3年くらいずっと誘われ続けた後にお互いのタイミングも合い、2008年にジョインすることを決意しました。

2人の創業者の可能性を信じて、経験の押し売りはしない

――まだまだ小さかった時代のChatworkに入社するのに、不安はありませんでしたか?

不安はありませんでしたが、迷いはありました。社会人経験のない学生が起業した、10名くらいの小さい会社で、オフィスはマンションの一室です。会社自体が小さいことよりも、私自身がこの会社でバリューを出せるのかが見えなかった。前職はそれなりに大きな会社で、成果を出すために動かせるお金や組織もありました。一方で、当時のEC studioはまだまだ会社の基礎をつくっているフェーズでした。当然同じようにはいかず、何から手をつければいいのか、最初はイメージがあまりわかなかったのです。

さてどうやってバリューを出していくか。それを模索しつつ、というスタートでした。会社を次のステージへ!という思いで私を招き入れた一方で、当時の社長(山本敏行さん)の「自分はこうやるんだ!見てろよ!」という迷いなき意気込みがある。その想いを尊重しつつ必要な変化をタイミングよく生み出す、というバランスが必要なんだと感じました。

当時、一つだけ、自分の中で決めていたことがあります。経験の押し売りだけはやめようと。「世の中の会社はこうしているから、こうした方がいいよ」といったアドバイスは厳禁としました。若い二人には思い切りやって欲しかったですし、何か面白い事業を生み出しそうな期待感もあった。良いことも悪いこともキラキラした目で楽しんでいる。その雰囲気を損ないたくなかったのです。

――当時はビジネスチャット「Chatwork」が生まれる前ですが、どのような事業を展開していたのでしょうか?

色々な事業を立ち上げた中で、収益が安定的に見込めたのが、セキュリティソフトの販売事業です。販売代理店としての契約を結び、ECで販売しました。当時の社長が立ち上げて、私が引き継ぎグロースさせていった事業です。私自身は仕入れ先との調整や販売のマネジメントを担いました。「社員のみんなを何とか食べさせなければ」という一心で、タフな調整業務も何とか乗り切りました。現在でもこの事業は続いています。

ビジネスチャット「Chatwork」が誕生。中小企業の市場開拓を、死に物狂いで推進

――そして、現在の主力サービスであり、社名にも掲げている「Chatwork」が生まれます。

何とかセキュリティ事業で食いつなぎながら、正喜さんが生み出したのが「Chatwork」です。もともとは社内で使うチャットツールとして開発したのですが、評判が良くて2011年3月にサービスとしてリリースしました。最初は売上はほとんど立たなかったのですが、主力事業に育てようと、社内のリソースを徐々にシフトしました。私自身もソフトの販売事業を担う傍らでChatwork事業にも参戦。主に市場開拓のミッションを進めることになります。当時社長を務めていたお兄さんの敏行さんは、2012年からアメリカに赴任していたので、国内のマーケットは自分たちでやるしかない。私も正喜さんも「自分が社長だ」というくらいの強い想いを持って、「Chatwork」の開発と市場開拓を死に物狂いで推進しました。「作る」=正喜さん、「売る」=山口、といった両刀体制で死に物狂いで推進。あのとき、自分も経営者として一皮むけたと思っています。

――「Chatwork」は、もともと中小企業をターゲットにしていたのでしょうか?

そうですね。当時から、メインのマーケットは中小企業に決めていました。中小企業のお客様が使いやすいように、とにかくシンプルなプロダクトにしようと。今から10年以上も前ですから、ITリテラシーの高くないお客様に「チャットで仕事をしましょう」と言っても、理解してもらうのは難しかった。さらにプロダクトの機能が多すぎると、なかなか使っていただけない。ですから、必要最小限の機能に抑えて、操作やUIもシンプルなものを開発しました。そのプロダクトを、私をはじめとする営業スタッフが丁寧にお客様に説明していました。そうして一人ひとりのお客様に使ってもらうことで、ビジネスとしても徐々に軌道に乗ってきたのです。

シリーズAで3億円の資金調達。採用を強化したが、売上が伸びず、、、

――そこからはどのように会社を成長させたのでしょうか?

2015年4月、「Chatwork」の成長を加速させるために、シリーズAとして3億円の調達を行いました。ただ、このときはお金の使い方があまりよく分かっていなかった(笑)。主に新規ユーザー獲得のためのマーケティング強化や新機能開発のために、調達した資金を使って中途採用を拡大しました。マーケターやエンジニアは順調に増えていったのですが、すぐには売上には跳ね返らず、それ以上に出て行くお金が増えてしまったのです。「前職ではこういったツールを使っていたので、導入してください」「まずは開発環境を充実することが大切です」といった社員の提案を採用していたら、調達したお金がみるみる減っていきました。

そこで、シリーズBの資金調達を急ピッチに進めたのですが、このときは大変でしたね。前回の調達から事業があまり成長していなかったので、何をフックに資金を募ればいいのか悩みました。とにかく周りの人に助けてもらうしかないと、他のSaaS企業のCEOやCFOに相談に乗ってもらったりもしました。創業社長の敏行さんはアメリカから出張ベースで参戦、正喜さんはシステムの負荷対策でとても忙しくしていました。その状況下での資金調達は、私のチームが中心となって成長ストーリーを描いて進めていました。ある会社のCFOにも、親身になって助けていただきました。VCのリストをつくっていただいたり、アポまで取っていただいたり、投資の契約書までチェックいただいたり(笑)。私たちもVCとの交渉や調整などやれることはなんでもやる、まさしく「自分たちの会社を売り込む」営業活動をやりました。他にも多くの方に助けていただいて、2016年1月に何とか15億円を調達できたのです。残高が数十万円の状態で入金したとき、財務を担当していたマネージャーは安堵の思いで泣き崩れていましたね。

泥臭い「地上戦」セールスに特化。右肩上がりに成長して上場を果たす

――シリーズBの調達後は、順調に軌道に乗ったのでしょうか?

いや、すぐには軌道に乗りませんでした。多額の資金を調達したので、それに見合った成長計画を立てたのですが、当時の組織のケイパビリティやサイズでは達成するのが難しかった。ユーザー獲得のために様々なマーケティング施策を打ったのですが、期待通りの成果を得ることができませんでした。今や当たり前のタクシー広告も流したのですが、当時は早すぎましたね(笑)。また、組織のカルチャーも醸成されておらず、ミッションに向かって一枚岩で走れる風土でもなかった。社員たちが、それぞれの強みを最大限に発揮することが難しく、プロジェクトがなかなか前に進みませんでした。結果として、2016年は目標としていた成長を実現できず、責任を取るべく、役員全員の報酬の一部を返上したのです。

ただ、その失敗は、後の成長に大いに活きました。新規ユーザーを獲得するために、タクシー広告、Webマーケティング、セミナーなどあらゆる打ち手を実施しましたが、堅実に成果につながったのは、対面でのセールス活動でした。それからは、「空中戦」のマーケティング施策は選別しつつ、泥臭い「地上戦」のセールスに特化しようと。私自身は、士業や介護、建設のコミュニティに入り込んでいって、業界トッププレイヤーとの関係性を構築し、セールスチームに商談をパスする役割を担いました。泥臭い戦略が奏功して、2017年〜18年は連続して目標を達成。単月での黒字も果たしました。そして、2019年9月に東証マザーズ市場(現在は東証グロース市場)への上場を果たすことができたのです。まさしくビジネス部門の0→1、1→10のフェーズを当時のメンバーと一緒に試行錯誤で築いてきました。なりふり構わず大変な日々でしたが、着実に積み上がっていってだんだんと視界が晴れていくのが楽しかったです。

「Chatwork」の成長の限界を超えるための新規事業

――その後の成長戦略は、どのように描きましたか?

上場する前から、この先は新たな成長戦略が必要になるな、と感じていました。そういう前提で資金調達もしていました。ビジネスチャット自体は、私たちがユーザーを広げれば広げるほど、コモディティ化していきます。一昔前のメーラーと同じですね。コモディティ化すると、お金を払ってくれる人はいなくなるので、新たな付加価値を提供しないと成長が止まってしまう。そこで、「Chatwork」を活用する中小企業ユーザーに対して、彼らが必要とするヒト・モノ・カネを提供していこうと。「Chatwork」をベースに様々なサービスやプロダクトを連携させていく構想を練りました。

そのためには、新規事業を開発する部隊が必要になります。上場する前は、新規事業の開発は1人の若手社員が担当していました。その社員はとても優秀だったのですが、経験は浅く一人で手探りしながらという体制でした。多くのサービスを企画して実装して、検証し、グロースさせるためには、専門組織を立ち上げなければならない。強烈に事業を推進できるトップも必要になる。もっと言えば上場企業で事業をいくつも立ち上げ成長させてきた経験があり、戦略やオペレーションといった、私たちにはないケイパビリティを持つ人=「やったことある人」がほしい。そこでアプローチしたのが、現在の取締役COOである福田升二さんです。

福田さんのような人に来てもらうためにも、上場を果たしたかった

――福田さんにはどのようにアプローチしたのでしょうか?

福田さんは、もともと取引先の執行役員で、お付き合いがありました。優秀なメンバーとともに様々な事業を立ち上げて、そのほとんどを成功に導いていましたね。一部上場企業で事業や組織を何倍にも成長させている経験を持つ男。お客様でもありながら、Chatworkには多大なる貢献をしてくれていました。業界をリードする介護事業者を何社も紹介いただけたおかげで、介護業界へ普及させることもできた。紹介してもらった数社のエージェントから、現CTOの春日さんをはじめ会社の成長を牽引するような人材を何人も採用できた。何度も事業の相談に乗ってもらった。すぐにでもChatworkに来て欲しかったのですが、上場前の資金やリソースが乏しい状況では福田さんのポテンシャルを発揮させられない。彼にお金と組織を渡せるように、何としても上場させようと。正直に言いますと、「福田さんのような方にジョインいただける会社にしたい」という想いも持ちながら、上場への準備を進めていました。

福田さんには、上場後に「非常勤役員」という形で、少しずつChatworkでの事業開発に携わってもらい、2020年4月に執行役員として正式に入社いただきました。私が統括していたセールスや事業開発の組織をお任せし、2022年4月には取締役COO兼ビジネス本部長に就任してもらったのです。上場後のさらなる成長フェーズである、10→100に適した人材。自分よりも何倍も優秀でうまくやれる人を連れてきて事業部門をお任せする。福田さんは私にとって大切なお客様でもあり、その範囲を超えてお世話になりまくっていましたから、Chatworkでの大活躍を心から願っていましたし、二人で割と慎重に進めてきたつもりです(笑)。彼が来てくれたこともあり、上場後の急成長を実現できたことは、この上なく嬉しいですね。

「チーフ・ネットワーキング・オフィサー(CNO)」として、全国を駆け巡る

――そして、現在はどのような役割を担当していますか?

2022年4月より「副社長執行役員CNO(Chief Networking Officer)」として、主に「Chatwork」と中小企業をつなぐミッションを推進中です。いわば市場との「外交」の仕事のようなもので、お客様との関係性からネットワーク効果を高めていくことがメインのミッションになります。これまでの経験を総動員して、このミッションに取り組んでいます。

具体的には業界や地域のコミュニティとの接点を強化する活動が多いですね。業界で影響力を持つリーダーとの関係性を更に深めてそのお客様に光を当てることで、業界でのプレゼンスを上げ、フォロワーを増やしていくという地道な活動です。今は隔週くらいの頻度で地方の業界団体や企業を訪問しています。お客様へのインタビューを通してその会社の魅力や「Chatwork」の効果を言語化し、同業者に刺さるように磨き込んで伝えていく。そういった実務を自分のパーソナリティを生かして楽しみながらやっています。取材コンテンツは、お客様はもちろん、業界全体にも、そしてChatwork社内にも役立つように仕上げていきます。「こんな田舎の工場にまで、東京の上場企業の副社長が来てくれるなんて!」と喜んでいただけることも多いですね。多くのSaaSベンダーは恐らくそこまでやらないですよね(笑)。

――お客様との関係性をつくる秘訣はありますか?

相手に対する興味を持って、リスペクトすることが前提ですね。中小企業で働く皆さんは、自社のビジネスを継続して生き残るために、日々必死に奮闘されている。その想いや努力に対して、リスペクトの心を持って接することは大前提です。その上で相手のことに興味を持ち、相手の課題と解決方法を一緒に考える。そんな対話を丁寧に続けることで、「この人は単にモノを売りに来た営業ではないな」と少しずつ心を開いていただけます。

そして、「Chatwork」を使っていただいた際には、お客様の状況を把握しながら活用提案をすることで、成功体験を積んで喜んでいただく。他のお客様からマネできる活用方法は山ほどあるのでそれを提案していきます。そうして人に語りたくなるような成功体験を味わっていただければ、そのお客様を中心として「Chatwork」の輪が広がっていくのです。

私は社内のセールススタッフに伝えています。「自分で営業するのではなく、お客様に営業していただくのが最強。お客様がその業界の、自分の言葉で、自分の温度感で、サービスの良さを伝えてくれるのが、『Chatwork』を拡げる最強の方法なんだよ」と。人づてで市場を拡げていく。それがネットワーク効果であり、うまく最大化していきたい。お客様の内側からその起点をつくるのが、CNOの大切な仕事だと思っています。

「Chatworkを起動するときに、山口さんの顔を毎回思い出すんや」

――今後の目標やキャリアは、どのように考えていますか?

「Chatwork」というサービスに留まらず、あらゆる手段を通じて、もっともっと中小企業のお客様の役に立てるようになりたいですね。従業員の皆さんがより楽しく働けたり、事業が飛躍的に拡大したり、日々の業務を効率的に運営できたりするように、いろんなサービスやソリューションを提供したい。中小企業のあらゆる課題解決を、Chatworkという会社が様々な形で提供していく。そのハブのような存在に、私自身やスタッフ全員が成長していきたいです。

中小企業の力になることは楽しい。ずっとそう感じています。そこで働いている人たちの純粋さや熱量が好きなのです。私自身のキャリアは、大阪の中小企業の営業からスタートしましたし、お客様も中小企業が多かった。目の前の商売に一生懸命取り組んでいる人もいれば、「もっと社会をよくするためにこの業界を変えたい!」という野心を持っている人もいる。みんな、まっすぐに人間くさい。わかりやすくて愛らしい。皆さんと一緒にいること自体が、とても楽しいのです。中にはビジネスの枠を超えて、仲良くしていただいている方もいらっしゃいます。つい先日、関西の建設業のお客様が、神奈川県の私の自宅まで遊びに来てくれました。「『Chatwork』を起動するときに、山口さんの顔を毎回思い出すんや」と言われることもあります。字面だけ見るとちょっと気持ち悪い話なんですが(笑)、そうやって感謝していただけて、私たちに良かれと思って動いていただけるのは本当にありがたい話でもあります。ここまでこの仕事を続けてきて良かった、と実感する働き方を、スタッフ全員にも、体験してもらいたいと思っています。

あともう一つ。引き続きCEOの正喜さんの助けになること。正喜さんには2度誘ってもらってるんです。最初はこの会社へ、次に「Chatwork」事業へ。きっと何らかの期待があってのことだと思うので、その期待を裏切るわけにはいかない。「あー、やっぱりいてもらってよかった、自分だけじゃ到底できなかったな」と思ってもらえるようなことを、これからもいくつも残していかないと、と思っています。

前職から19年に渡る付き合いで、あらゆる苦楽をともにしてきました。助けてもらったことも数え切れません。振り返るとこの会社にジョインしてからずっと好きなこと、自分の強みを活かせることをやらせてもらって、いろんな体験もさせてもらいました。これだけ多くの中小企業の皆さんと毎日楽しくやれているのは、「Chatwork」とそれを産んでくれた正喜さんのおかげでもあります。もう55歳になりましたが、彼の描いたミッションへ近づけるためにも、「まだまだ頑張らなアカンな~」と思っています。

撮影場所:東京オフィス(WeWork 日比谷FORT TOWER)