Cha道

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ミッションは“ジャイアント・キリング”。 勝ちきることで、メンバーのキャリアに報いたい。

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伊藤忠商事でIT関連の事業に携わりながら、時代の潮流を感じてベンチャーの世界へ。前職のエス・エム・エスでは、逆境にさらされながらも「介護 × IT」事業を一気にグロース。
その原動力になった福田の想いとは何か?
そして、Chatworkでは海外の競合企業に勝ちきるために、どのような強みをつくろうとしているのか?
常に非連続な成長に向き合い続ける、その生き方に迫りました。

■プロフィール

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執行役員CSO兼事業推進本部長
福田升二

2004年、神戸大学大学院 情報知能工学科を卒業後、伊藤忠商事に入社。インターネット関連の新規事業開発や投資業務に携わる。2013年にエス・エム・エスに転職。介護事業のグロースを牽引し、執行役員に就任。2020年4月にChatworkにジョイン。同年7月より執行役員CSO兼事業推進本部長に就任。趣味はビリヤード。プロになろうと考えたときもあったが断念し、ビジネスの道へ。

「お前、この株売ってこい!」
伊藤忠でのベンチャービジネスの経験が自分のキャリアの基礎になった

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―― もともと理系出身で伊藤忠商事に入社したと聞きましたが、どのような経緯でしたか?

神戸大学大学院 情報知能工学科を卒業しました。進路の選び方は、かなりいい加減で(笑)。振り返ってみると、理系を選択したのは、小学生のときに、算数のドリルを解くのが早くてといった程度のことが続いてたんだと思います。大学の学科選択は、名前がカッコ良いと感じて、情報知能工学を専攻しました。いずれは、日立とかソニーとかのメーカーに学校推薦で就職するんだろうなぁ、、とぼんやりと考えながら、これといった意志も無く大学院へと進学。同級生のプログラミング等の情報リテラシーのレベルが異様に高くて、同じ道に進んでも絶対に負ける!と感じて、別の道を模索し始めました。ただ、「情報関連」の学科を選択したのは正解でしたね。学生時代にはポケベル→PHS→携帯であったり、ダイアルアップ→ISDN→ADSL→光ファイバーといったように、デバイスや回線速度の劇的な変化を身を持って体験しそのポテンシャルを生々しく実感できたので。

「何となく理系」を選択したぐらいだったので、生きていく上の軸がありませんでした。就職活動中に、たまたま伊藤忠に勤めている同級生から、「商社もIT事業を手掛けているので、お前みたいなヤツは合うかも」と言われて入社したのです。「何か、名前が古くさそうな会社だな、、」というイメージだったのですが、いくつかの企業から内定を頂いている中で、会社の持つ勢い含め、自分に持ってないものを沢山もってそうだなと思い、ある意味「逆張り」で会社選択をしました。

―― 伊藤忠ではどのような仕事を任されていましたか?

伊藤忠には、2004年から2013年まで、9年に渡り在籍しました。ずっとIT関連の部署で様々な仕事を経験しました。最初の1〜2年は、投資している会社の管理業務を担当。予実管理、決算、税務など、ひたすら数字に向き合う日々でした。先輩から資料も何も渡されない中で、「お前、この株売ってこい!」と言われたこともありましたね(笑)。伊藤忠は体育会系の文化で、後輩にポンポン丸投げするのが普通だったので、鍛えられました。ビジネスパーソンとしての基礎はここで身についたと思います。

3年目以降は、もともと希望していたインターネット関連事業に携わりました。ITバブル当時、「ネットビジネス開発室」というチームが、インターネット企業への投資や事業開発支援を手掛け沢山の成功事例を産み出しており、その流れを汲んだ部隊でした。私も幾つかの事業を担当しました。たとえば、大手のネット不動産企業と、リフォームや注文住宅に関する事業を合弁でつくったこともあります。成功も失敗もありましたが、どのような機会にも、全力で食らいついていきましたね。

―― 商社から次に移るターニングポイントはどこでしたか?

インターネットマーケティングのベンチャー企業「アドウェイズ」に出向したことですね。約1年半を過ごしたのですが、「事業を急成長させるためには、ここまでスピードが求められるのか!」と痛感しました。外から支援するだけでは、なかなか想像できない世界がそこにはあった。

で、また伊藤忠に戻ったのですが、このままで本当に良いのか、、と悩みましたね。大企業に身を置き、外部の立場で仕事をするだけでは、自分はこれ以上のスピードで成長ができない。そう考えて、変化の激しいマーケットの荒波の中に当事者として身を置き、意志を持って仕事をすることでさらなる成長を目指したい。そう決意して、転職活動を始めたのです

エス・エム・エスで介護向けのSaaS事業を手掛けた。組織の急拡大のひずみで苦しんだ

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―― 2社目はどちらを選んだのですか?

マーケットが拡大している環境で勝負したかったので、医療・介護業者向けにインターネットサービスを提供していたエス・エム・エスに転職しました。ぶっちゃけ年収は半減しました(笑)。自分としては、今もそうですが、そこまで収入にこだわりが無いんですよ。年収よりもマーケットを選んだわけです。妻も特に反対しませんでしたが、実家の両親はビックリしていましたね(笑)。

―― 入社後は、どのようなミッションを担当しましたか?

入社後ほどなくして「カイポケ」という、介護事業者向けのSaaS事業の責任者を勤めることに。当時はまだまだ小さいサービスで、ある取締役が兼務で管理していました。「リニューアルと値上げ」という戦略だけが決まっていて、どのように実現するのか、概念は存在していましたが、その具体的な施策が無い状態でジョインしました。既存ユーザーが離れないような打ち手を導入し、そして新規ユーザーが獲得できるようにサービスを開発して、何とかグロースを達成。周辺の金融事業も伸びて「SaaSのグロースのお手本」と称されることも多いのですが、正直に言いますと、その裏の事業・組織運営はむちゃくちゃ苦しかったです。。思い出しても吐きそうなくらいで、今、「もう一度やれ」と言われても無理ですね(笑)。

―― 特に苦しかったことは何ですか?

サービスをリニューアルして、かつグロースさせるために、組織を急拡大せざるを得なかったのです。私が責任者になって、数年で100名近くのスタッフを採用しました。ただ人を増やすだけならそこまで難しくはないと思いますが、組織を整えてきっちり機能させながら拡大していく経験が、自分にはありませんでした。事業の状況が刻一刻と変化していく中、都度、戦略を落とし込んで、迷い無くスタッフにワークしてもらう。チームごとの役割を明確化した上で、有機的なつながりを持ちながら、こぼれ落ちるボールを拾う。このような組織運営が初期段階はスムーズにはできませんでした。

組織としての意思統一や一体感の醸成がなかなか難しかったですね。私自身のコミュニケーションやスタンスが原因で、退職してしまうメンバーもいました。さらに、増員によって人件費は増えている一方で、既存ユーザーの離脱数と新規ユーザーの総和がマイナスの状況が続いて、事業としてもなかなか上向きにならない時期が続きました。商社では全く経験したことがない体験です。ここまで追い詰められるのかと。。

メンバーのキャリアに報いるためには、事業を成功させるしかない

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―― そこからどのように踏みとどまったのでしょうか?

そのどん底の状態でも、逃げずに踏ん張れたのは、「メンバーのキャリアに対する責任」があったからです。自分で戦略を決めてメンバーの採用も行うことは、私が振ったタクトでメンバーの人生が変わってしまうことを意味します。その責任を持つ者として、この事業を成功させる以外に道はありません。事業が失敗してしまうと、全員のキャリアに傷を付けてしまう。それだけは避けたかった。

自分自身の大変さは、メンバー全員の大変さと比べれば、あまりにもちっぽけなものじゃないのか。そこで腹をくくることで、自分自身が変わることができたのだと思います。様々な施策が功を奏し、全体が上手く回り始め、事業の成長へとつながっていきました。「カイポケ」の成功を受けて、介護分野全体の責任者を務めることに。。そして、入社から5年後の2018年に、エス・エム・エスの執行役員に就任したのです。

ユーザーとしてChatworkの伸びしろを感じていた。エス・エム・エスの執行役員でありながら、社外取締役に

―― Chatworkにジョインした経緯を教えてください。

エス・エム・エス時代から、Chatworkは活用していました。このツールが無ければ困難を乗り越えられなかったので、プロダクトへの共感や感謝は持っていました。今の副社長の山口さんと知り合いで、ちょくちょく食事などご一緒するようになり、「上場を考えているのですが、少しでもいいので手伝ってくれませんか?」と言われたのがきっかけです。プロダクトとしての伸びしろは感じていたのと、これまでの経験が活かせそうだったので、社外取締役として支援するように。

そして、2019年の上場後にエス・エム・エスの役員を退任したのですが、「Chatworkは自分のフルリソースを投入すればもっと伸ばせる。このままではもったいない」と強く感じ、2020年4月に執行役員兼CSOとしてジョインしたのです。営業、マーケティング、アライアンスなど、ビジネスサイドの全ての領域を担当しています。

入社前は「東京オリンピックや働き方改革などをきっかけにして起こる、世の中の緩やかなトレンドに合わせて、体制を整えながら着実に事業を成長させよう」と考えていましたが、新型コロナウイルスの感染拡大によって、Chatworkのニーズが一気に高まりました。2020年4月当時は、ニーズに対応できる体制が整ってなかったので、急ピッチで組織を拡大。今、そこから約半年が立ちましたが、エス・エム・エスのグロース時に学んだことを活かすことで、何とか組織拡大を行えています。ある意味、「思い出しても吐きそう」という当時のデジャブ感がありますが、「いつか見た景色」でもあり、再現性としては多少の安心感はありますね。

2024年までにデファクトスタンダードになる。そのための非連続な成長を

―― 今後の組織の運営で特に意識していることは何ですか?

IRでも伝えていますが、「2024年までに中小企業のビジネスチャットのデファクトスタンダードになる」という目標を達成するためには、既存のやり方を続けていたのでは難しい。海外発のサービスに勝つためにも、戦略を実行し切る組織をつくれるかが勝負です。

そのためには、自分たちに無いケーパビリティをどう埋めていくのかがカギになります。様々な能力を持つメンバーに多くジョインしてもらうことで、既存メンバーとも刺激をしあい、組織全体のレベルを向上させていく。その一例がインサイドセールスチームで、これまでのChatworkでは見られなかったような多様な人材が集結。すでに20名くらいの規模になっています。

さらに組織を強くするためには、一人ひとりのメンバーが、採用活動を「自分ごと化」していく必要があると思います。優秀な人材を一人巻き込めたときに会社が変わる力や、人が成長したときの事業への影響力を理解してもらえれば、おのずと「自分ごと化」できるばず。本質的に「事業は人である」ことを感じることで、採用だけではなく育成も強くなる。このような風土をつくっていきたいですね。

逆に言えば、これからChatworkにジョインいただく人はチャンスだと思います。ユーザーのニーズは膨らんで行きますし、ビジネスチャット以外の周辺業務も立ち上げて、顧客のビジネス全体を支援するフェーズに入っていきます。個人としても間違いなく、非連続な成長機会に恵まれるでしょう。

“ジャイアント・キリング”を果たし、
「Chatworkの社員や出身者には凄い人が多い」と言われる会社にしたい

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―― どのような人がChatworkで活躍していますか?

与えられた環境下で正解を出せる人よりも、「変化に強い人」「試行錯誤しながら正解に近づける人」が事業に寄与してくれています。環境もゴールも変わる前提ですぐにトライして、結果を素直に受け止めて修正を重ねる。その先に本人と事業の成長があると確信しています。

私も採用面接を毎日のように行っていますが、まだまだ既存のビジネス環境にのみ適応している人が多く、変化への対応力を持っている人は希少です。おそらくこの振れ幅の大きな時代においては、「変化型人材」の価値は高まっていく。そのような素養を持っている人は、Chatworkでは自身の価値をより磨くことができると思います。近い将来に「Chatworkの社員や出身者には凄い人が多い」と言われる会社にしていかなくてはいけない。それがメンバー一人ひとりのキャリアに責任を持つことだと思いますし、その実現に不可欠なマーケットの成長性は担保されています。

―― ご自身の今後のキャリアはどのように考えていますか?

Chatworkに入社して半年程度ですから、まだ長期のキャリアは見えていないのが正直なところです。まずは、Chatworkというサービスを確固たるコミュニケーションインフラの地位にまで押し上げ、ビジネスチャット以外のサービスも併せて提供していく。そして、海外の競合企業に自分たちでしかできない戦い方で勝ちきる。“ジャイアント・キリング”ですね(笑)。ここ2〜3年ではそこを目指しています。

その先はイメージできていないのですが、「夢を実現させたい」という起業家と組んで、まだ見ぬ何かを生み出し続けていると思います。収入に対する執着も無いですし、「稼げる」よりも「面白いことをやれる」ことを重視してキャリアを積み重ねているでしょうね。

Chatworkから次の会社へと、仮に移る可能性があるとしたら、自分が得意なフェーズを終えたときでしょう。事業は継続性が大前提ですから、自分がいなくなっても回る組織や仕組みをつくるのが私の仕事でもある。その仕組みが完成し、「ここから先は後の人に託した方が、この会社は面白くなる」と私自身が感じたら、次の人にバトンを渡すかもしれません。まあ、今の仕事は面白いので、当分は離れるつもりはないですね(笑)。