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“ひとり社内SE”から、100名超の組織を担うアジャイルコーチに。コミュニティ活動がキャリアを一変させた。

中学生時代からプログラミングを始め、社内SEとして活動している中で、アジャイル開発と出会った有野 雅士。コミュニティ活動を通じて多くの仲間と出会い、その後のキャリアが拓けました。幾つかの企業を経て、Chatworkへ。100名超のプロダクト開発組織全体を支援しています。アジャイルコーチのミッションやこれまでのキャリアについて、詳しく聞きました。

■プロフィール

有野 雅士
コミュニケーションプラットフォーム本部 プロダクト開発支援部 マネージャー

1978年生まれ。大手企業のSEとしてキャリアをスタート。金融系の開発に従事した後、販売系企業に社内SEとして転職。アジャイル開発に出会い、2010年よりコミュニティ活動を始める。コンサルティング会社でアジャイルコーチを務めた後、大手企業を経て、2023年10月にChatworkに入社。

学生時代から、プログラミングと接客が身近だった

――現在のキャリアにつながっている、原体験はありますか?

祖父が保険の代理店をやっていて、その“商売人の振る舞い”を学べたように思います。祖父とお客様が話している現場に何度か同席したことがあるのですが、子どもながらに興味を覚えました。祖父の言葉にお客様がうなずき、楽しそうに笑っている。その光景が私にとっては誇りで、いつか自分も人に喜んでいただいて、お金を稼げる人になりたいと思っていました。そして、高校生になって、接客のアルバイトにハマりました。お客様とのコミュニケーションの中で、どうしたら喜んでいただけるかに大きなやりがいや自分の存在価値を感じていたのです。

エンジニアのキャリアの起点になったのは、中学生時代でした。PCゲームをプレイしたことがパソコンに触るきっかけになりました。高校時代に通っていた塾のアルバイト講師に「ちょっとプログラミングをやってみない?」と誘われて、独学でコードを書くようになったのです。その講師はプログラミングのお礼として古いギターやアンプを譲ってくれました。はじめはお礼目当てでしたが、コードを書けば書くほど面白さを感じるようになり、SEとしてのキャリアをスタート。大手の信託銀行の開発現場に常駐し、「2000年問題」や「ユーロ通貨導入」の対応などを行っていました。

“ひとり社内SE”時代に『アジャイルサムライ』と出会った

――エンジニアとしてのキャリアを歩む中で、転機になった出来事を教えてください。

受託型での開発に携わった後、自社開発への興味が芽生え、ある販売系の会社に社内SEとして転職しました。SEは私ひとりでした。財務・経理系のシステムや、営業管理システムなど、あらゆるシステムを自分で手を動かして開発し運用をしました。

そこで、もっと良いやり方を学ぼうと手に取ったのが『アジャイルサムライ』という1冊の本でした。こんなに面白いやり方があるんだ!と衝撃を受けたのを覚えています。取締役や営業部のスタッフなどの社内ユーザーから要望を受けて提案しながら開発するスタイルは、アジャイルとの相性も良かった。本で書かれている手法を、現場で毎日のように試しました。すると、周りの社員や役員とのコミュニケーションも取りやすくなり、効率的に業務や経営判断をすることができるようになった。本で学んだことを実践するサイクルを繰り返す中で、その方法をもっと多くの人と学ぶために、「アジャイルサムライ読書会 埼玉道場」を立ち上げ、多くの方たちの協力により実施することができました。

アジャイルのコミュニティ活動を起点に、新たなキャリアを歩み始めた

――アジャイル開発のコミュニティ活動は、有野さんのキャリアにどのような影響をもたらしましたか?

コミュニティにおいて、多くの方と出会えたことは、その後のキャリアに大きな影響を与えました。その後、アジャイル開発に挑戦する企業が少しずつ増えました。私自身も声をかけていただき、音楽関連のファンクラブやEC事業を展開する会社に転職。社長がアジャイル開発に理解がある方で、スムーズにプロジェクトを進めることができて、やりがいも大きかった。その社長とは、次の会社でも一緒に仕事をすることになり、私のアジャイルコーチとしてのファーストキャリアを支えてくれました。

また、読書会で知り合った人たちのネットワークを通じて、新たなポジションに就くことやコミュニティ活動をすることもありました。知人が産業技術大学院大学で特任准教授を務めることになり、主催するワークショップの運営を手伝うことに。大学院生・学部生にアジャイル開発の手法を使って自分たちで課題解決をする授業なのですが、約9年に渡って運営をサポートしました。この授業を通じて、コーチングのスキルが培われました。おそらく社内SEとしてアジャイル開発に従事していただけでは、このような出会いもインプットも無かったでしょう。コミュニティ活動を続けたことが、自分のキャリアを変えてくれたと思っています。

アジャイルのエキスパートが集うコンサルティング会社で、コーチとしてのスキルを究める

――アジャイルコーチとして、本格的なキャリアを歩むようになったきっかけを教えてください。

アジャイル開発の導入支援や組織コンサルティングを手掛ける、株式会社アトラクタにジョインして、アジャイルコーチとしての本格的なキャリアを歩むことになりました。

アトラクタは、3人のアジャイル開発のエキスパートが立ち上げた会社で、多くのことを学びました。アジャイル開発の深い知識、顧客の課題の発掘手法、コーチングの進め方、日々のコミュニケーションの作法など、あらゆることを吸収しました。特に、今でも役に立っている知識は、「コンサルティング」と「ティーチング」と「コーチング」の違いです。コンサルティングは、顧客への提案を行って、自発的に実践していただくための働きかけを行います。ティーチングは知識を教えることがメインで、その習得を評価します。そして、コーチングは、相手の動きを観察して、次に起こることを予測した上で、アドバイスを変えたり、気付きを得られる問いかけをしたりと、少し遠くから見守り成長を促すポジションです。それぞれのスキルを習得できたことは、その後のキャリアにおいて大きな武器になりました。

アトラクタでは、充実した日々を送っていましたが、コロナ禍で状況が大きく変わりました。リモートワークが一気に進み、顧客とリアルでやり取りすることができなくなりました。当時の私のコーチングのスタイルは、相手の身振りや目線の動き、身体の姿勢など、現場での視覚情報やそこで感じた空気感を重視しているので、リモートの打ち合わせでは、それらの情報を取得しづらいので、相手の状況を正確に把握するのが難しくなったのです。自分の強みを発揮できない状況にもどかしさを感じ、昔からの友人でもある経営陣にもこれ以上の迷惑をかけるわけにはいかない、という想いが強くなり、やむを得ず退職を選びました。

気付きを誘発して、自発的に行動を変えてもらう起点をつくる

――アトラクタを退職した後、2023年10月にChatworkにジョインしました。その経緯を教えてください。

ソフトウェアの品質保証会社や大手金融系SIでのアジャイルコーチを経て、Chatworkに入社しました。ビジネスチャット「Chatwork」はフリーミアムのサービスであり、サービスをリリースするのがゴールではありません。ユーザーに使い込んでもらい、ビジネスにつなげることがゴールです。その方向性が、私の根っこにある“商売人のDNA”とフィットしました。ユーザーに喜んでもらえるものをつくる。そのために、自分のスキルも十二分に活かせるとも感じました。

――入社後は、アジャイルコーチとして、どのような活動をしてきましたか?

入社から約3ヶ月は、情報収集と観察に注力していました。会社の中で起きている問題や、意思決定の流れ、現場のエンジニアやPdMの仕事へのスタンスなどを、会議に参加したり、ヒアリングを重ねることで、自分の中に情報としてストックしていく。その中で、過去の経験と照らし合わせると、無駄なことをやっているのでは?と感じることが幾つか出てきます。「そのような事象が起こっている理由は何ですか?」「その作業が必要な理由を教えてください」とヒアリングで深掘りしていく。理由が明確でない場合は、自分なりに仮説を立てて、メンバーとコミュニケーションを取りながら検証をする。そのような一連の活動を進めてきました。

入社して間もないからこそ、外部からの視点でフラットに観察と指摘ができる。これは明確な強みだと思っています。エンジニアは問題解決のプロだから、目の前の作業に集中するのが得意です。そこで私が少し引いた場所から俯瞰することで、彼ら彼女らが気づいていない視界からのインプットを行えます。

場合によっては、耳の痛い指摘をすることもありますが、直接の上司ではないので、受け入れてくれやすい。上司からのダメ出しは個人の評価につながるので、上手く行っているように繕ってしまう場合もあります。利害関係の薄い立場を活かしながら、気付きを誘発できる。そして行動が変わり、成功体験につながれば、一人ひとりが良い方向に自走するようになり、少しずつチーム全体が変わっていく。その起点をつくるのが、私の仕事だと思っています。

メンバーを理解するために、一挙手一投足を注視する

――逆に、上手く行っていないチームの特徴はありますか?

基本的なコミュニケーションや振る舞いに問題があるケースが多いです。メンバー同士で必要な会話がなされなかったり、目的が外部の意向であったりします。協力する必要がないため、見かけ上の作業自体は進捗しています。メンバー同士でのコミュニケーションを取らずに、個人が作業を進めることで、タスク自体は消化されている。そして、作業内容を持ち寄って、全体で組み合わせると齟齬が顕在化して、システムとして機能しません。このように一人ひとりが自己世界のみでモノづくりを進めると、うまくいかない可能性が生じるのです。人だけではなく、プロセスも同様です。

私はメンバーの一挙手一投足を注視し、どのような個性や方向性にあるのかを見ます。リモート会議でずっとマイクやカメラをオフにしている人はいないか、一部のメンバーに発言が偏っていないか、リアクションが少ない人は誰なのか。メンバーを観察し、アシストすることで、コミュニケーションの活性化を促します。そうすることによって、彼らの目的を気づかせ、どのように進めると良さそうなのかを考えるきっかけになります。そこから自分たちの目的を解決するために新たな挑戦が出来るようになります。

Chatworkのメンバーは、強烈な“突破力”を持っている。そのポテンシャルをより発揮できる環境に

――2024年度のテーマは、どのように考えていますか?

会社の2年先を見て活動することが、私のミッションです。組織の成長曲線をイメージしながら、2年後に起こるであろう問題の種を今摘んでおく。今年の1月から、組織の再編に伴い所属している本部が大きくなったので、関与するメンバーの数が一気に増えました。接点の無いチームも多いので、少しずつコミュニケーションを取りたいと考えています。自分の検知できる範囲を拡げることが、2024年のテーマの一つです。

――Chatworkの組織の伸びしろは、どこにありますか?

今、「Chatwork」のプロダクト開発に携わっているメンバーは約100名。その100名が、苦労せず、150名分の力を発揮できる可能性は十分にあると思っています。そのきっかけをつくりたい。私は少し引いた視点から俯瞰で組織を見ているので、人数構成のバランスを変えたり、チームごとのミッションを再定義する支援を行うことによって、もっともっとポテンシャルを発揮できるはずです。

Chatworkのメンバーは、強烈な“突破力”を持っています。ある一つの目標を渡すと、それに向かっていく推進力がすごい。真摯に課題を捉えて、集中して解決できる。だからこそ、その力をメンバー自身が考えた未来の方向に向ける支援をし、ポテンシャルを十二分に発揮できる組織にすることは非常に大切だと思っています。

「組織のため」だけでなく、「ユーザーのため」のアジャイルコーチに

――最後に、有野さん自身の今後のキャリアは、どのように考えていますか?

メンバーに気付きを促すアジャイルコーチという立場から、“駆け込み寺”へと進化できればと思っています。私が現場での観察を重ねて問題を抽出するのではなく、メンバーが自発的に課題に気づいて、その解決のために私を使ってくれればいい。そのような状態をつくれれば、おのずと100名のポテンシャルは、200名や300名分に増幅されているはずです。一人ひとりのメンバーも生き生きと働いていて、「自分がやりたいことができている」と思っているでしょう。会社全体をそのような状態に進化させることが、私のミッションです。

私は高校生のときに本格的にコーディングを始めて、プログラマーとしてキャリアをスタートしました。そして、アジャイルコーチへと転身しました。今でもコードを書くのは楽しいと思っていますが、「Chatwork」を使ってくださるユーザーの皆様を幸せにするためには、今のポジションが最適だと思っています。「組織のため」だけではなく、「ユーザーである中小企業で働く人たちのため」に、私はこの道を究めていきたい。自分自身のアジャイルコーチとしての次のキャリアも、そうすることで見えてくると思っています。

撮影場所:東京オフィス(WeWork 日比谷FORT TOWER)