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データを資産として生かしたい。こだわるのは、「つくり手」としてのおもしろさ。

全社横断組織として事業拡大に向けたデータ利活用のプランニング部分を担う、ビジネスプラットフォーム推進部でマネージャーを務める草留。彼のこれまでのキャリアは、商品開発、営業・マーケティング、販売戦略立案から施策策定、データ可視化やデータ分析、またデータを使った経営企画業務などさまざま。幅広い経験から何を得て、それらはChatworkの未来にどう生かされるのか。これまでのキャリアを紐解きながら、今後の展望について聞いてみました。

■プロフィール

草留 一貴
データソリューション推進室 ビジネスプラットフォーム推進部 マネージャー

大学卒業後、FA・金型部品等の専門商社である株式会社ミスミに入社。商品開発に2年、営業部門に4年、新規事業部門に3年所属し、商品開発・営業・マーケティング全般を幅広く経験。化粧品や健康食品等の企画・販売を行う新日本製薬株式会社に転職し、ダイレクトマーケティングの販売戦略から施策の策定、データ可視化・分析チームのマネジメントを経験した後、LINE Fukuoka株式会社(現:LINEヤフーコミュニケーションズ株式会社)へ。経営企画チーム・データアナリティクスチームが併設された組織の責任者を務め、さまざまな経営企画系プロジェクトを推進。2023年6月にChatworkにジョインしている。

選択肢を絞らずいろいろなことを経験したいと、選んだ1社目

──これまでの経歴をざっと拝見しますと、実にさまざまなご経験をされています。特に1社目のミスミでは数年おきにキャリアチェンジされていますね。

私が新卒入社したミスミは非常にユニークな企業で、当時はその名も「ガラガラポン制度」という社内異動制度があり、自分が希望する部署に誰でも異動願いを出すことができたんです。私も入社後は商品開発部門に配属されたのですが、実際にモノが売れている理由を自分の目で見て確かめたくなって、営業への異動希望を出しました。

──ネーミングも含めておもしろい制度ですね。就職活動の際にはそういったキャリア選択の幅広さも魅力だったんでしょうか?

会社としてもいろいろな経験ができること、他社よりも成長が早いことをアピールしていましたし、私もそこに魅力を感じていました。人と話すのは好きなので、当時は漠然と営業職に就くのかな…というくらいしかイメージできていませんでしたが、選択肢はあまり絞りたくはありませんでした。キャリアについてもそうですし、商品SKU(ストック・キーピング・ユニット=商品区分)も800垓(1兆の800億倍)と桁違いに多くて、いろいろな意味で選択肢の多さに魅力を感じていましたね。

──大学ではどんなことを学んでいたんですか?

工学部の情報学科で学んでいました。情報系の知識やスキルを身につければ、社会でも幅広く生かせると思っていたのですが、1年生の前半くらいでちょっと違うなと感じてしまって。実際に情報系の学びがどういったことに役立つのか、何に使われるのか、そのあたりの説明がないままカリキュラムが進んでいくことに違和感がありました。またプログラミング一つとっても、自分が四苦八苦しながら勉強しているのに、軽々と課題をクリアして遥か先を行く同級生とのレベルの差を目の当たりにして「この分野では自分は勝てない…」と感じ、早々にあきらめがつきました。そういったある意味で「捨てる経験」が、幅広い選択肢というキャリア志向につながっているのかもしれません。

とことん戦略、とにかく実行。ビジネスの基礎を徹底的に叩き込まれた強烈な記憶

──Chatworkまで3社、まさに幅広い経験をされているかと思いますが、キャリアのターニングポイントとなったのは、どのような仕事・経験でしょうか?

ターニングポイントというか、今も強烈な記憶として残り、私のキャリアの土台をつくってくれたのは1社目のミスミでの経験です。

当時ミスミは、創業社長からバトンを引き継いで第2創業期を支えた三枝さんが経営を任されていました。三枝さんはもともと、世界有数の経営コンサルティング会社であるボストン・コンサルティング・グループの国内採用第1号コンサルタントで、コンサルタントとしての三枝さんの考え方が社内に徹底的に叩き込まれていました。具体的には、戦略に対する強いこだわりを持っていて、1年の半分くらい全事業部が戦略策定・レビューを繰り返しているようなイメージです。そして戦略が決まれば、アクションプランを固めて一気呵成に走り出す。「戦略は仮説というロジックを積み上げたものであるから、実行して失敗したらその仮説に立ち戻って原因究明して軌道修正せよ、そのための戦略なんだ」というカルチャーが会社全体に根づいていたので、戦略はかなり考え抜いて策定し、走り出したら全力で動き、戦況が変わったら直ちに軌道修正するというスピード感は凄まじかったです。実行して失敗することよりも実行しなかったことに対してのプレッシャーの方が遥かに強かったですね。実行できない戦略はそもそも戦略ではない、と。

セールスにしても、テストセールスや競合調査などを経て顧客セグメントを検証して固めて、そこにしか営業をかけません。最初に立てた仮説が検証できるまで徹底的に動いて、成功か失敗かを見極められるまでとことんやり続ける。やみくもに探客・商談をすることは絶対にありませんでした。データで検証できるまで動き続ける、しっかりデータを基に判断するということが、強烈な記憶とともに私の考え方のベースになっています。

転職によるカルチャーギャップが、学習とキャリアチェンジのきっかけに

──たしかに、1社目にしてキャリアのターニングポイントとなるような強烈な体験ですね。この戦略と実行、データドリブンな仕事の進め方はその後のキャリアでも生かされていくのでしょうか?

そうですね、9年間勤務したミスミで培った経験はいろいろな形で生かされていきます。2社目となる新日本製薬は、化粧品通販を主力事業としていました。ダイレクトマーケティングによって集客し、売上の大部分は商品の定期購入コースによるリピート購入によって積み上がっていくビジネスモデルで、今思えばITプロダクトのSaaS系サブスクリプション型ビジネスモデルと収益構造は似てますね。

新日本製薬には、戦略検討に大きな時間を割くミスミとは異なり、何でもまずやってみようという雰囲気が社内にありました。とことん戦略を考え、実行して、データで検証するということがすっかり習慣になっていた私にとってこれは驚きで。どちらが良い・悪いという話ではなく、今まで当たり前のようにやっていて身体に染みついたルーチンを急にやめてしまうと気持ち悪いと感じるように、戦略を持たずに走り始めることに違和感や不安を覚えていました。

──どのようにこの不安を乗り越えたんですか?

不安を感じてみて初めて、自分が「戦略という拠り所」を基軸にして動いていたことに気づいたんです。その拠り所がないわけですから、自分でそれをつくるしかないと考え、あらためて戦略の考え方について勉強し直し、記憶を頼りに自分なりに戦略を再現しようと試みました。戦略は仮説の積み上げなので、それぞれの仮説が「わかりやすく納得感のあるシナリオ」であるための裏づけや検証にデータ分析は欠かせないことを痛感しました。データについてはその時に猛勉強して周りの詳しい人にも聞きながらSQLやBI開発などのスキルを習得していきました。このときの経験が結果的にその後のキャリアへとまたつながっていくことになるので、振り返ると自分にとって大切な気づきだったと思います。

また新日本製薬では、人の縁にも恵まれました。私が入社する1年程前に転職されてきた事業部長に目をかけていただいて。ダイレクトマーケティングやデータ戦略に通じたプロフェッショナルな方だったのですが、新規顧客獲得戦略のタスクフォースメンバーとしてアサインされ、コールスタッフ増員のためにアウトソーサーを活用した体制を構築しリソースを数倍に増やしたり、KPIを設計して可視化し、データに基づいて議論できるようにしたりなど、さまざまなプロジェクトを任されました。とくにKPIマネジメントにおける解釈や意思決定については、毎週、鋭い指摘やフィードバックを受けながらアウトプットし続ける日々が続き、かなり鍛えていただいた感覚があります。

その後、データ組織のマネジャーに任命されました。当時、施策検証PDCAや投資対効果に基づくマーケティングチャネル最適化に問題を抱えており、解消のためにさまざまな改革を行いました。ちょうど基幹システムを入れ替え、データ基盤も全てリニューアルされるタイミングだったため、データ基盤づくりにも関わり、BI(ビジネス・インテリジェンス)ツールを展開し、KPI可視化とともに、統計根拠に基づく施策検証オペレーションの構築や、投資対効果(CACLTVUnit Economics)に基づいてマーケティングチャネルへの投資が最適化される仕組みを整備しました。また、データ組織という立場でしたが、CRM施策立案から実行まで一気通貫で任せていただいたこともあり、今思い返しても貴重な経験でした。

フロントエンドもバックエンドも経験してみて、やっぱり売上をつくる仕事に戻りたかった

──このあと、LINE Fukuoka(現:LINEヤフーコミュニケーションズ株式会社)に転職されていますね。どのような転機だったのでしょうか? 

データを扱うようになっていろいろな情報に触れていくと、データアナリストやデータサイエンティストとして発信しているのはIT企業の方が多く、どこかチャレンジングで革新的な印象もあって、IT企業で働いてみたいと考えるようになったんです。

ITの業界経験もありませんし、自分に何ができるのか正直言ってわかりませんでしたが、さまざまなプロジェクトをカオス状態から立て直してきた経験をアピールしました。当時、LINEはサービスとして成長真っ只中だったので、「これだけ急激にサービス拡大や人員増加していく中で、事業のコンディション把握や意思決定に対してのデータ活用や環境整備が追いついていますか?もしカオスな状況に陥っているなら、私ならなんとかできると思います」といった仮説をぶつけてみたところ、まさにそういった悩みがあるということで無事採用となりました。

──前職から引き続きデータの可視化・分析に携わっているかと思いますが、転職されたことで仕事における変化はありましたか?

そうですね、同じくデータを扱ってはいますが、ざっくり表現するとフロントエンドを前職の新日本製薬で経験し、バックエンドをLINE Fukuokaで経験したという感じでしょうか。LINE FukuokaはLINEサービスの運営に必要なバックオフィス系の業務を担うグループ会社で、カスタマーサポート、加盟店審査、違反投稿監視、ローカライズ翻訳、QA業務(Quality Assurance)など多種多様な運営業務があり、2000名近くの社員や業務委託メンバーがそれらを対応しています。

入社当時、ほぼ全ての組織で、データ可視化やKPIマネジメントの問題を抱えていました。入社後はまずLINE公式アカウントやLINE Payの加盟店審査やカスタマーサポートの組織に入り、生産性UPに向けた業務コンディションのKPI設計やBI開発に加え、具体的な施策を組織メンバーとともに実行し、一定の成果を挙げました。これをきっかけに、全社組織に対してデータ可視化とKPIマネジメント強化を狙いとした横串組織を立ち上げることとなり、データサイエンス組織とIT組織との共同プロジェクトのリーダーとして、約2年をかけて主要業務の全てに対してBIによるKPI可視化や、KPIマネジメントの仕組みを定着させることに成功しました。その後は経営企画チームも立ち上げ、管理会計P/Lと事業KPIを連動化や、経営課題・採用課題の解決支援など、組織メンバーとともに健全な経営体質を目指して取り組みました。

──データを経営に生かすという、非常に責任とやりがいある仕事を経験されていたかと思いますが、そこからなぜまた転職を考えられたんでしょうか?

バックエンドの仕事をしばらくやっていると、やっぱり売上をつくる活動が恋しくなってしまって。LINE Fukuokaの主幹事業はサービス運営業務で、売上をつくる組織機能はありませんでしたので、キャリアの希望を叶えるためには転職しかありませんでした。

うれしい誤算は、Chatworkにはまだまだ「0→1」がたくさん残っていたこと

──転職先としてChatworkを選ばれた理由を教えてください。 

いくつかありますが、まずChatworkは戦略資料を社外に公開しているのですが、公開されているだけあって、社内でもしっかり検討を重ねていることが一目見てわかりました。また事業としても、SaaS業界の中では顧客規模が比較的大きく、顧客資産の活用余地があり、まだまだ伸びしろがありそうだと思いましたし、ビジネスモデルについてもChatwork事業やBPaaS事業ともにこれまでの経験が活かせると確信していました。

それからフルリモートで働けるというのも決め手になりました*1。私の場合、福岡に家を買って暮らしているのですが、自宅から通勤できる範囲に絞ると選択肢も限られてしまいます。また前職のLINE FukuokaはLINEのグループ会社という立ち位置だったので、今度は事業会社側でイニシアチブを持って事業全体に関わりたいという思いもありました。

──実際に働き始めて、入社前のイメージとのギャップはありましたか? 

概ねイメージ通りでした。全社を挙げて戦略策定・実行に注力していることもそうですし、フルリモートですが働きやすいと感じているので、そのあたりのギャップはありません。ただ、ギャップというか、想定を上回っていたのは、私が貢献できそうな機会がたくさんあったことです。1を10にする仕事と、0から1をつくる仕事、それぞれやりがいはありますが、私は0から1をつくるのが好きなんです。でもChatworkにはもう0→1の仕事はあまり残っていないかもしれないな…と入社前は想像していましたが、実際にはまだまだたくさんありました。これは私にとってうれしい誤算でしたね(笑)。

データを資産として活用し、企業成長をブーストさせたい

──あらためて、草留さんが現在担っている役割について教えてください。

まず所属組織についてご説明すると、データソリューション推進室はCOOの直下組織として2024年1月に立ち上がりました。これまでは「事業企画部」として1つの組織に紐づいていましたが、今期からは全社横断の横串組織となりました。データソリューション推進室には「ビジネスプラットフォーム推進部」と「データ推進部」があり、私はビジネスプラットフォーム推進部のマネージャーを務めています。データ推進部がデータ基盤・BIツール・機械学習モデル構築を含む分析基盤の構築を担うのに対し、ビジネスプラットフォーム推進部は分析基盤とSFA・MAを連携させたビジネス基盤の開発を担うCRM推進チームと、それら分析基盤・ビジネス基盤を現場組織に装着し、戦略実行するためのオペレーショナルエクセレンスを構築するBizOps推進チームで構成されています。データ組織に加えてビジネス基盤やOPS構築の組織が連携し、ビジネス組織の力を最大化していくことにコミットしている点がデータソリューション推進室の最大の特徴だと考えています。

──実際に働いてみて、0→1の仕事がまだたくさんあった、というお話がありましたが、どういった点でそう感じられますか?

Chatworkのビジネス組織はデータに対しての感度は高く、データに基づく意思決定を尊重するカルチャーがあります。しかし一方で各組織の事業コンディションを把握するためのKPIが構造的に設計されておらず、断片的にしか把握できない部分があったり、指標の定義が曖昧であったりと、改善が必要なポイントはすぐに気づきました。急成長する組織であれば必ず対峙する課題ですが、放置したままだと正しく現状把握できず、意思決定を誤るリスクがあります。そこで、現場組織と協力してKPIを整理するとともにBIツールによってデータ定義を揃え、KPIレポートも再構築して、全員が同じ数字を見て意思決定ができる仕組みをつくったのが初仕事でした。入社して半年が経ったころ、その仕組みもうまく回りはじめ、現場組織の意見も取り入れながら目標達成に向けて活発な議論ができる状態になってきました。

──こうした部分には、これまでセールスやCRMにも携わってこられた草留さんの経験が生かされているんでしょうか?

まさにそう感じています。これまでのセールス、マーケティング、データ職種といったさまざまな経験のおかげで、これらの組織が何を考えているか、何に苦しんでいるかといった想像ができるのと、課題の根本原因や、それを把握したり検証するためにどのようなデータが必要で、どのように分析すればいいかといったアイデアを考えながら先回りして提案するように心がけています。また一方でデータ組織のケイパビリティやCRM基盤を現場にどう活かすかについても想像がつくので、現場とそれらをうまくつないでシナジーを生み出すことが私の得意技だと思ってます。正直、これまでは自分の職種が一体何なのか、自分でも整理がつかず、人にも説明ができずにモヤモヤしていたのですが、Chatworkに入社してBizOpsという職種を知り、「あぁ、僕の職業はBizOpsだったんだな」と、ようやく腹に落ちた気持ちになっています。これまでの全ての経験がフルで活かせる役割だと思ってますし、手応えも感じています。

──カオスな状態から仕組みをつくり、整えていくうえで、草留さんが大切にされていることはありますか?

強く意識しているのは再現性です。つまり、自分がいなくなっても回り続ける仕組みをつくれるかどうか。極端な例を挙げれば、優秀なセールスパーソンが1人いて売上をいくら積み上げていても、その人が抜けた瞬間に売上は落ちていきます。一方で、ターゲットを効果的に絞り込む仕組みを構築できたとしたら、特定の「ヒト」に依存することなく組織ケイパビリティを向上させることができます。このような再現性のある仕組みは、たとえ私が会社を辞めた後でも残され積み上がっていく資産です。「つくり手」として大事にしているのは、その仕組みが会社の資産として残っていくものかどうかということです。

──「つくり手」として、これからChatworkで挑戦してみたいことはありますか?

やりたいこと、やるべきことはまだまだたくさんありますが、これから最も注力していくべき取り組みとして、投資効率(ROIUnit Economicsなど)に基づいてChatworkの顧客資産や経営資源であるヒト・モノ・カネの投資を最適化する仕組みの構築を推進していきます。その実現のためには経営コンディションを構造的に整理するプロセスや、投資効率を見極める分析OPS、データサイエンスや機械学習を活用した高度なターゲティング手法、それらと連動したCRM基盤の構築など、さまざまなテーマがありますが、Chatworkのビジネス全体をブーストさせるために必ずやり遂げたいですね。

撮影場所:東京オフィス(WeWork 日比谷FORT TOWER)

*1:部署や職種によって、原則東京勤務となる場合があります。