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バンダイナムコ、MIXIを経てChatworkへ。「潜在意識の深掘りノウハウ」で、中小企業で働く人を元気にする。

大学卒業後、バンダイナムコグループに入社した鹽野。数百人の女子高生にインタビューを重ねて、シールプリント機やアーケードゲーム機などを開発。女子高生の潜在意識にアプローチした機能を開発し、爆発的なヒットを生み出しました。その後、MIXIやgumiでマーケティングのスペシャリストとして、数多くの挑戦と失敗を経験。エンタメ業界での16年間で培ったものを、どのように中小企業向けのBtoB SaaSで活かしているのか。詳しく聞きました。

■プロフィール

鹽野 友哉(しおの ゆうや)
コミュニケーションプラットフォーム本部
マーケティングユニット コンテンツマネジメント部 マネージャー

岡山県出身。2006年4月に大学を卒業し、バンダイナムコグループのアーケードゲーム開発部門に入社。アーケードゲームの開発を手掛けた後に、社内公募でバンダイに出向。IPを活用した男児向けの玩具開発を担当。2016年にMIXIに転職。「モンスターストライク」を担当し、IPコンテンツとのコラボレーションや台湾・香港・マカオ向けのマーケティングを手掛ける。2019年にgumiに転職し、新規ゲームのローンチ時のマーケティングを主に担当。2022年5月、Chatworkに入社。コンテンツマーケティング全体をマネージャーとして統括している。

「かわいい!」「かわいくない!」数百人の女子高生の本音に迫り、大きなトレンドを生み出した

――キャリアの原体験となった幼少期の経験があれば、教えてください。

小学生のときは漠然と画家かおもちゃ屋になりたいと思っていました。どうすれば人を感動させることができるのか、と考えることに興味を持っていて、大学では心理学を専攻。就職活動では、好きなことを仕事にしたいと思い、エンターテインメント業界を中心に受けて、バンダイナムコゲームスに入社を決めました。ゼロイチのモノ作りをしたかったので、志望したのはアーケードゲームの開発。大学時代にゲームセンターでアルバイトをしていて、多くの筐体に触れていました。ゼロからデザインできるので、無限に遊びを追求できると思っていたからです。

――バンダイナムコゲームスに、2006年に入社しました。どのような業務を担当しましたか?

女性向けシールプリント機の開発部署に配属になりました。本音を言えば、格闘ゲームやエレメカのゲームを作りたかった。シールプリント機は自分には馴染みが薄かったので、配属を聞いたときは驚きました。ただ、いざ開発に取り組むと、非常に奥深い世界でのめり込んでいきました。

今では業界のスタンダードとなっている「瞳を大きくキレイに見せる機能」を生み出したのが、今でも印象に残っています。数百人にも上る女子高生に「どういう機能を求めているのか」「周りの友人とはどのようなコミュニケーションを取っているのか」と徹底的にヒアリングを重ねることからスタート。写真を撮ってもらって、その場でPhotoshopで加工して、意見をもらいました。当時は恵比寿に事務所があったので、ユーザーに来てもらって何度も話し込んでいましたね。「かわいい!」「かわいくない!」とストレートに意見をもらえるので(笑)、一喜一憂しながら、理想の加工手法を追い求めました。画像処理技術が発達していない時代です。何千回にも渡る試行錯誤を行うのが、とても大変でした。その粘り強い活動の末、何とか実用に耐えうる機能を生み出して、大きなトレンドを作ることができました。

この仕事で学んだことは、自分の中ではなく、ユーザーの中に答えがあること。自分が良いと思ったことをそのままリリースしても、ここまでの反響は得られなかった。気が遠くなるほどの頻度で、直接ユーザーとの意見交換を行うことで、彼女たちの深層心理に到達できたと感じています。このスタンスは、その後のゲーム開発やマーケティング業務でも踏襲していきました。

「どうしてそんなおもちゃが売れてるんだ?」海外の大手IPを説得するために心掛けたこと

――バンダイナムコゲームスでは、その他にどのような仕事を担当しましたか?

アーケードゲームの開発を経験した後は、男児向けの玩具の開発部署に社内公募で移りました。「おもちゃ屋になりたい」と小さい頃から思っていたので、開発者としてその願いが叶ったことになります。アーケードゲームの開発も充実していましたが、1つの製品を開発するのに3〜4年くらいは掛かります。開発中にトレンドが変わって、お蔵入りになることもある。プランナーとしての打席が少ないのです。玩具はTVやアニメのコンテンツとの連動を重視するため、企画から制作、リリースまでの期間がゲーム開発よりも短い。もっともっと自分の企画を世に出したいとも考えていたので、自ら手を挙げて異動したのです。

思い出に残っているのは、海外の大手IPとの共同案件です。かなり規模の大きなプロジェクトで、結果的には日本でヒットしたのですが、リリースするまでが大変でした。日本のトレンドや男児が求めているものを、海外のIP事業者に説明するのは非常に難しい。特に海外と日本では子どもの志向が全く異なるので、「どうしてそんなおもちゃが売れてるんだ?」「本国ではこの企画が受けているから、同じようにやってくれないか?」など、多くの議論を交わしました。こちらから説明する際には、特に言葉に気を遣いましたね。通訳を介してコミュニケーションを取るので、綿密に言語化しておかないとミスリードにつながります。当時は電子辞書を片手に企画書を書いていました。

もちろんIPを深く理解するために、その映像を何度も見て頭に焼き付け、既に商品化されている玩具を遊び倒す。できる限りの地道な努力も行いました。また、先方が企画をスムーズに検討できるように、特別なコミュニケーションフローを構築したり、資料をお送りする際にも検討するポイントを明確にしてやり取りを行いました。シールプリント機の開発で学んだ、とにかく粘り強くプロジェクトを進めるスタンスが奏功したと思います。結果として、日本初のコンテンツも生み出すことができて、売上にも大きく貢献できたのです。

「モンスターストライク」の海外版を担当。プロダクトが強い中で、マーケティングの価値はどこにあるのか?

――バンダイナムコグループから、アプリ事業者であるMIXIへと転職しました。どのような動機があったのでしょうか?

MIXIに転職したのは、2016年です。玩具の部署に移って1年くらい経ったタイミングで、世の中ではネイティブアプリのマーケットが一気に立ち上がりました。それを横目に見ながら、私は玩具を開発していたのですが、「アプリへのユーザーの大移動が起こっている中、自分はこのままで良いのだろうか、、」と少しずつ疑問を感じるようになったのです。

その想いが積もって、「モンスターストライク」が大ヒットしていたMIXIに転職しました。入社当初は、前職の経験を活かしてIP連携を担当。日本の著名なアニメやキャラクターとのコラボレーションを推進しました。その後、裁量がより大きなプロジェクトに携わろうと、海外向けのマーケティング部署に手を挙げて移りました。10名くらいの少人数組織の責任者として、台湾・香港市場の開拓を進めました。マーケティングの設計→プロモーション実施→イベント開催→効果検証まで、一連のプロセスを手掛けるのが仕事です。

このときは、文化の壁に苦労しましたね。日本と台湾・香港では、クオリティへのこだわりに違いがあります。たとえば、広告のデザインや色、細部の仕上げなど、こちらが求めているものを、海外のパートナーが正確に形にするのがなかなか難しかった。背景含めて細かく指示を出しても、意図通りのものがなかなか上がってこない。何とか売上を伸ばすことはできましたが、クリエイティブに関するジレンマはずっと続いていました。

アプリ自体は好調で、国内外で爆発的に売上を伸ばしていました。喜ばしいことではあるのですが、自分の存在意義をあまり感じることができずに、苦しい思いをすることもありました。形式通りのプロモーションさえ行えば、ぐんぐんユーザーが伸びていく。プロダクトとしての完成度が高く、新しい施策を打ったらユーザー同士で勝手に広まっていく。マーケティングがどのような価値を発揮するのか、自問自答する日々が続いていました。

新規ゲームのプロモーションに最新技術を導入

――そして、2019年、MIXIからgumiに転職しました。同業への転職ですが、どのような背景があったのでしょうか?

マーケターとしての存在価値をより実感するために、あえてRPGにチャレンジしようと考えました。これまでに経験したものとは異なるフィールドで、改めて自分の力を出し切ってみたいなと。

入社後に担当したのは、あるIPを活用したゲームです。立ち上げのマーケティング業務を任されました。まずはその分野のIPを徹底的に勉強しました。そして、このプロジェクトで最も難しかったのが、元々のファンの目が肥えていること。ファンにも喜んでいただき、意外性やサプライズを提供するために、様々なプランを検討しました。

そこで実施したのが、最新技術を活用したCMです。ゲームのウリを伝えるために、とにかく多くのパターンのCMを作りました。バリエーションの多さとクオリティの高さに、目の肥えたファンにも喜んでいただき、想定以上のプロモーション効果を生み出したのです。自分自身で試行錯誤しながら生み出した成果ですから、嬉しかったですね。

16年間を過ごしたエンタメ業界から、Chatworkへ。全く異なる景色を見てみたい

――gumiを退職後、2022年5月にChatworkにジョインします。エンタメ業界からSaaS企業への転職は珍しいと思いますが。

ゲーム業界に16年間在籍して、マーケティング担当として一定の成果を出した実感がありました。このまま同じキャリアを続けるよりも、全く経験の無い業界に移った方が多くのことを学べると考えたのです。そこで、BtoB企業への転職を模索して、出会ったのがChatworkでした。Chatworkは経営陣の考え方にブレが無く、かつ現場にも浸透しており、ボトムアップな気風にも溢れていて強い組織だなと感じましたね。これまでとは違った環境でチャレンジしたいと考えたのです。

また、Chatworkはビジネスチャットや新規事業を通じて、中小企業のユーザーに新しい働き方を提供しています。「業務が効率化して残業が少なくなり、イキイキと働けるようになった」「現場でのコミュニケーションが活発化して、新しい事業が生まれて業績が伸びた」といったユーザーの声が届いていると聞いて、驚きましたね。ユーザーの人生や企業の未来にも、影響を与えることができる。ゲーム業界とは全く異なる景色を見てみたい。そう思ってChatworkに入社しました。

中小企業で働く人たちは、潜在的には何を求めているのか。その根幹に迫る

――Chatworkに入社後は、どのような仕事を担当しましたか?

一貫してマーケティング業務を担当しているのですが、入社当初は、クリエイティブ領域のタスクをメインで担当しました。ホワイトペーパーの企画や広告のデザインなど、BtoC業界で培ったスキルを活かしながら、クリエイティブをディレクションするのが仕事でした。

2023年に入ってからは、ユーザーの獲得にも守備範囲を拡げて、コンテンツマーケティングにおいてユーザーとの全ての接点をデザインする組織を立ち上げ、その責任者に就任しました。「新規ユーザーの獲得」と「ユーザーの有料化」は、別々の組織で推進していたのですが、一つにまとめることで、「Chatwork」の価値を一貫して伝えることができる。そう考えたのです。

しかし、元々別々の役割を担う組織だったので、仕事の進め方が異なっていました。「コミュニケーションや働き方を効率化したい」というユーザーのニーズに対して一貫して応えるためには、同じ方向性で仕事をすることが必要になります。そのために何度も議論を重ねて、部門共通のミッションを掲げ、ナレッジ共有の仕組みも新たに構築しました。

私が率いるコンテンツマネジメント部は、大きく3つのチームに分かれています。ホワイトペーパーなど記事コンテンツを制作するチーム、オンラインセミナーで集客とナレッジ提供を行うチーム、リアルの展示会に出展するチームです。自チーム以外の情報にも触れてもらい、ナレッジや知見を広げてもらうために、メンバーには複数のチームを兼務してもらっています。自チームの都合を優先するのではなく、全体を見ながら業務に当たることで、様々な視点をマーケティングに活かせますし、部としての一体感も生まれる。個人ではなくチームで知恵を結集して、ユーザーに新しい体験を提供したいのです。

さらに、顧客との距離が近いインサイドセールス・フィールドセールスなどの部署から情報を吸い上げて、ニーズを深掘りしてマーケティング施策に活かすようにしました。「一人のユーザーにしか刺さらないかもしれないけれど、●●に関するホワイトペーパーを制作したい」とメンバーが提案してくれたのは嬉しかったですね。自分本位の仮説ではなく、事実を元に深掘りしたユーザーのニーズに応えることが、マーケティングの本質だと私は思っています。バンダイナムコでのシールプリント機の開発でもそうでした。女子高生が「かわいい!」と感じるのは何故なのか。それを突き詰めた先に業界のスタンダードが生まれました。中小企業で働く人たちは、潜在的には何を求めているのか。その根幹をメンバーと突き詰めながら、施策に活かしたいのです。

自分の全てをさらけ出す。自ら失敗を認め、メンバーに対して謝る

――Chatworkに入社して1年が経ちましたが、振り返ってみて感じるものはありますか?

40歳近くになっても日々苦しんでいるのが、非常に嬉しいですね。同じ業界でのキャリアが長かったので、前職までは経験則で業務を回す部分も多かった。しかし、Chatworkは世に無いものを生み出す会社なので、前例をコピーすることはできません。一つひとつの仕事がチャレンジで、1ページの資料を作るために必要ならば数時間を費やしますし、マネージャーといえど自分で手を動かすことも多いです。毎日が勉強で、自分自身のスキルが拡張されている実感が大いにあります。自分の成長がチームの成長につながり、ひいてはユーザーの働き方の効率化、事業の成長にもつながる。だから、目の前の仕事に手を抜けないのです。

メンバーとのコミュニケーションでは、自分の全てをさらけ出すようにしています。「僕にはこのスキルはありません」「やってみたけど失敗でした」と、弱みや間違いをはっきりと伝えます。マネージャー自らが言いづらいことを開示することで、オープンな雰囲気を醸成したいからです。以前は、「仕事ができる人」を演じていたこともありました。失敗を隠して間違いを認めない。自分の失態を指摘されないように、のらりくらりとかわし続ける。そのような態度で仕事に向き合っていたら、大きなトラブルに発展したことがあります。このときの痛みは、今でも頭の奥底に残っていて、同じような事態をメンバーに経験させたくないのです。「失敗しました」と気軽に言えることで、メンバーが自らの能力を全解放してチャレンジできる。その経験が成長につながるのは間違いないと思っています。

Chatworkがキャリアの終着点。残りの人生をここで歩んでいきたい

――最後に、ご自身の今後のキャリアはどのように考えていますか?

一言で言えば、Chatworkがキャリアの終着点だと思っています。BtoCの業界では、16年間必死にやってきてようやく何かをつかむことができた。自分にとって納得のできる結果を出すために、同じくらいの時間をこの会社で過ごしたい。そう考えると、Chatworkがキャリアの終着点になる可能性は十分にあるでしょうね。

私たちが取り組んでいる「中小企業のDX」は、この国の未来を左右する重要なテーマだと思っています。そこにしっかりと向き合うことが自分の使命です。今後はビジネスチャット以外の領域にも事業が広がっていくので、マーケティング担当としては、より大きな価値提供を求められる。3年後、5年後、10年後を見据えた上で、コンテンツマーケティングを考えるようになりました。自分自身の人生の歩み方が、社会の未来にもつながっている。その実感をかみ締めながら、1日1日を過ごしていくだけです。

撮影場所:東京オフィス(WeWork 日比谷FORT TOWER)