Cha道

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ヤフー、PayPayでは、年間1000名超の「爆速採用」を指揮して事業成長を支えた。Chatworkではもっとダイレクトに、人と事業をつなげられる。

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今回は、人事部マネージャーの吉成に話を聞きました。ヤフーの新規事業や営業企画を経て、採用マネージャーに。グループ会社のPayPayの立ち上げ人事も兼務しながら、多くの人材採用を通じて事業成長を支えてきました。そして、Chatworkにジョインして約1年。ここまでの成果と人事部の未来について、ざっくばらんに語ってくれました。

■プロフィール

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ピープル&ブランド本部人事部マネージャー

吉成 大祐

早稲田大学教育学部を卒業して、2009年4月、ヤフーに新卒入社。リスティング広告や「Yahoo!ロコ」の営業企画を経て、人事部へと異動。新卒・中途の採用担当、採用マネージャーを務めた後、設立当初のPayPayに出向。ヤフーの採用も兼務しながら、年間1000名の採用活動をリード。2020年にファーストリテイリングに転職。IT領域やエグゼクティブ人材の採用を手掛け、2021年2月にChatworkにジョイン。

親や親戚は全員、「IBMに行け。ヤフーなんかやめとけ」と

――中学・高校・大学時代のことを教えてください。

思い出としては高校受験に失敗して、第5志望くらいの学校に入ったことですかね。初めて挫折を経験したことで、高校時代は「なんとか挽回したい」という一心で勉強に打ち込んで、大学入試でリベンジを果たします。もともと「親を失望させたくない」「自分自身での納得感が欲しい」というだけで頑張ってきたので、いざ就職のタイミングになると、やりたいことが何も無かった。有名な銀行やメーカーとか、世の中的に正解と言われている企業をなんとなく受けたのですが、どこもピンと来ませんでした。何のために働くのかも考えていませんでしたね。
そんなときに『ウェブ進化論』という本に出会って、なんとなくこれからはインターネットが主役になる時代がくるんじゃないかと直感的に感じました。単純ですよね(笑)。変化の中心にいることで、何か見えてくるものがあるだろうと期待して入社したのが、ヤフーです。

――他に行きたかった企業はありますか?

最後に迷った企業はIBMです。親や親戚は全員、「ヤフーなんかやめとけ。IBMに行け」と。その反対意見を押し切って、ヤフーに決めたのですが、人生で初めて、自分で何かを決断したのはこのときだったと思います。システム会社として企業向けのシステムを作るのか、日本中の一般消費者向けのサービスを作るのか。後者の方が単純に楽しいんだろうなと思ったので、ヤフーに決めました。

ヤフー4年目。親会社と役員からの「むちゃぶり」で死地に放り込まれた

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――2009年にヤフーに新卒で入社していますが、最初はどのような仕事を?

最初はリスティング広告のコンサル部隊に配属になって、半年後に新規事業の部署に移りました。「Yahoo!ロコ」の立ち上げに携わって、そこで大きな会社で新規事業を立ち上げる難しさを経験しました。インターネットビジネスの基礎を学んだのがこの時期です。

そして、入社4年目の時に、価値観を大きく揺さぶられる仕事を経験しました。ちょうどヤフーの経営体制が変更となる時期で、経営層の間であるアイディアが話されました。それは「新生ヤフーを挙げてソフトバンクの広告予算を数倍にもできるアイディアを持ってきなさい」というもの。私はそれが発表された当日、実はお休みをいただいていていたのですが、いきなり当時の役員から連絡がきて、「明日、私の部屋にきてもらえる?」と。
経営層とこんなに近くで仕事をする機会もなかったですし、相対したのはソフトバンクの重役ばかりでしたので、どうしたら良いのか途方に暮れましたね。

――具体的にはどのようなプロジェクトだったのでしょうか?

期間は3ヶ月で、ヤフー全社の3000〜4000人の社員を巻きこんで、広告出稿の案を募りました。そこからスジの良さそうなものを選んで、ソフトバンク側に提案を続けました。会議の場には、ソフトバンクの経営層の方々もほぼ全員同席していて、そこに若造の私が混じっているという。今思うと、よく生き残ったなと。それくらいハードなプロジェクトでした。

ふとした瞬間に、腹をくくれた。「ダメだったら、会社を辞めればいい」

――4年目でいきなりその環境に放り込まれるのは、かなりキツそうですね。。

ビジネスパーソンの怪物クラスの人たちから、それはもう、キツい指摘を無数に受けましたね。ただ、ふとした瞬間に「ダメだったら辞めればいい。死ぬことはないし」と腹をくくれたのです。そこから何かが吹っ切れて、捨て身で全力でぶつかれるようになり、少しずつ結果につながり始めた。何かを怖がってやらないと迷うくらいだったら、意思決定して前に進む方が、いろいろなことが見えてくる。そう気付くと、よりアクティブに動けるようになったのです。
「死中に活を求める」という故事がありますが、若いうちにハードシングスを経験すれば、人は一気に成長できる。このプロジェクトを通じて、仕事に対する姿勢や、仕事の当たり前の基準が、がらっと変わりました。ただ、「もう一度、あのプロジェクトをやれ」と言われてもやりたくないですけどね(笑)。

――高校時代の勉強への腹の括り方とは違いますか?

全然違いますね。高校の時は仮に第一志望に落ちたとしても、何らかの受け皿があるので、心の準備もできますし失敗してもそこまで痛くはない。一方で、今回は失敗したらどうなるか分からない。闇の中にダイブしているような感じで腹をくくれたのは、大きなポイントだと思いますね。

「ヤフーが新卒採用を廃止して、通年採用を開始!」と新聞に載った

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――その後、人事としてのキャリアを歩みましたが、そのキッカケは?

さきほどの広告プロジェクトが終わったら、燃え尽き症候群になってしまいました。「もうヤフーでこれ以上の経験はできない」と、転職活動をしていたんですよ。そのときに昔の上司が人事に異動して、たまたま声を掛けられたのがキッカケです。燃え尽きていたとはいえ、新卒で入った会社なので、一定の思い入れもあった。最後にもう少しだけでも会社に貢献しようと、異動制度で手を挙げたのです。

――人事の仕事は初めてでしたが、大丈夫でしたか?

自分がジョインするタイミングで、前任の人たちが他部署に異動してしまっていて、ナレッジが何も残っていない状態からスタートしました。新卒採用から担当したのですが、知識が全く無い中で、4人の担当者で年間300〜400人の学生を採らなくてはならないので、がむしゃらにやるしかなかったです。採用イベントに参画する予算感なんかも分からず、当時は業者のいいなりでしたね。
2年にわたって新卒採用を担当した後に、中途採用のチームに移りました。その後、新卒と中途の双方を担当することで見えてきたものがあって、始めたのが「通年採用」です。「ヤフーが新卒採用を廃止して、通年採用を開始!」と新聞に載ったとき、やっとヤフーの歴史に爪痕を残せた気がして、いい思い出になりました。

1000人の採用を進めながら、PayPayが日本中に広がっていくのを間近で体感できた

――すごい勢いで人事の仕事をキャッチアップしましたね。

その後は、新卒・中途の採用マネージャーになって、年間600-700名の採用を統括していました。さらに2018年1月から今ではお馴染みのPayPayにおいて、リリース前の先行営業、年間1000名採用を兼務することに。ヤフーの通常の採用とは異なり、全国各地で営業スタッフを採用するので、地方を飛び回って面接をこなすしかない。5月に結婚式を挙げたのですが、新婚旅行には行けずに、妻を東京に置いて一人でほぼ毎週地方に出張していました(笑)。通常のヤフーの採用含めてさすがに全てを一人で見るのは限界があるので、信頼を置けるメンバーにミドルマネジメントを任せたり、マーケット構造を理解した上で戦略を推進することで、この「爆速採用」を何とか乗り切ることができました。

――地方採用ならではの難しさもありそうですが。

そうですね。首都圏とのITリテラシーの違いは感じました。地方では「キャッシュレスって何?」から説明しなくてはならないケースも多かったですね。加えてPayPayの社長から「エンジニアが全然足りない!最速で採用しろ!明日の朝までに企画書を持ってこい!」とゲキが飛んでくる。またその採用目標がむちゃくちゃ高くて。PayPayはインドのQRコード決済会社であるPayTMから技術提供を受けていたので、プロダクトの責任者はインド出身の方ということもあり、日本だけではなく、インドのエンジニアの中途採用にも踏み切りました。もちろん日本全国の営業採用も並行していたので、このときはさすがにキツかったですね。

――先ほどの広告出稿のプロジェクトと似ていますね。むちゃぶり、という意味では。

同じですね。今だから笑って言えますが、失敗していたらマジで笑えないですよ。大げさかもしれませんが、採用が成功していなかったら、PayPay自体がこのスピードで成長しているか分かりません。採用が事業の成長に直結しているのを、あれほどダイレクトに感じたことはなかったですね。プレッシャーの掛かる毎日でしたが、採用目標を達成して、PayPayが日本中に広がっていくのを間近に体感できたのは、本当に貴重な経験だったと思います。
そういえば、目標達成したときに、総勢20名のメンバーで打ち上げをやりました。そのときに心の底から「メンバーに対する感謝の気持ち」がわき上がってきたのです。きれいごとではなく、「自分がやってやった!」とは全然思えなくて、「この人たちがいてくれなかったらできなかった」という想いしかなかったです。正直、これは初めての感覚で、今も続くマネジメントの根本を形成した出来事でもあります。

非IT業界× グローバルの舞台を体験するために、ファーストリテイリングへ

――そのような充実した採用プロジェクトを経験する中で、退職を決意した理由は何だったのですか?

ヤフーからPayPayに出向して1年が経って、完全に転籍するか、ヤフーに戻るか、決断をしなくてはならないタイミングがやってきました。PayPayの次の成長を支えるのも、ヤフーに戻るのも、私は選びませんでした。IT業界を10年以上にわたって経験してきたので、非ITの業界を見てみたいと思ったのと、インドのエンジニア採用に触れたこともあって、グローバルで戦っている会社で勝負してみたい、という想いが強くなっていたからです。
そのようなタイミングで声を掛けてくれたのが、ファーストリテイリングの知り合いの採用責任者でした。「IT領域の採用を手伝ってくれないか」と誘ってくれて、入社を決断したのです。ユニクロのIT化については、ニュースなどでも話題になっていたので、その中身がどうなっているのかを知りたいという興味もありましたね。

ファーストリテイリングの1年は、自分の弱みと強みを再認識した1年だった

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――いざ、「非ITグローバル企業」のファーストリテイリングに入社して、どのようなことを感じましたか?

結局、2020年の1年しかいなかったのですが、私にとっては学びがとても多い1年でした。リアルな店舗を持ち、服というモノを持っている会社だったので、ヤフーやPayPayほど物事がダイナミックに短期間で動くことはあまりありません。そこをどう動かすかが、私の仕事なのですが、巨大な会社を動かすのはなかなか難しかった。周囲からの期待に応えられなかったので、申し訳ない気持ちが強いですね。
他にもユニクロの店長の方のキャリア面談も担当していたのですが、自分とは全く違う人生を歩んでいらっしゃるので、気付きを多くいただきました。こういう生き方も素晴らしいな、と。視野は間違いなく広がったと思います。
様々な出会いがある中で、自分自身がどういう生きていくのか、どういう価値発揮をして会社や社会に貢献するのか、深く考える機会になりました。結論としては、もう少しスピード感のある世界で、ダイレクトに事業の成長に貢献できる仕事をすることが、自分の本分ではないのか。そう改めて感じて、転職を決意したのです。

そして、Chatworkにジョイン。未完成な会社で自分の強みが活かしたい

――その後、2021年2月にChatworkにジョインするのですが、他に迷った会社はありませんでしたか?

正直に言えば、ありました。複数のオファーをいただき、それぞれの会社の魅力は感じていたのですが、自分が入ることで一番インパクトが生み出せそうなChatworkを選んだのです。体制も含めて未完成な会社に行くことで、自分の経験と持ち味を最大限に活かそうと。Chatworkは人事としての体制はまだまだ整っていませんでしたし、特に採用のスペシャリストはいない状態でしたので。

――入社したときのChatworkの印象は?

第一印象は、人事目線で見て「すごく純粋で良い会社」というものでした。一人ひとりの従業員と接しても、会社と従業員の関係性という意味でも、そう強く感じました。事業戦略も理にかなっていて、「日本の中小企業のDX」に向かって一人ひとりが純粋に頑張っている。そのような雰囲気は、これまでの職場では感じることがありませんでした。

170名の会社が、約100名を1年で採用。急拡大したことで新たな課題が見えてきた

――入社して1年が経ちましたが、採用業務の成果としてはいかがでしたか?

私がジョインしたときは、170名くらいの規模だったのですが、そこから100名くらいを採用しました。数だけではなく、いい人が採れている感覚が強いです。ヤフーやPayPayに在籍していたときとは、違った充実感を感じていますね。これまで培ってきた様々なノウハウが、再現性を持って通用していることで、自信にもつながりました。
ただ、採用とは別の人事的な課題が生まれているのも、正直なところです。人員が拡大しているが故に、組織内のひずみや反動が出始めているようにも感じています。直近はその問題を解決するために、人材開発や人事制度の策定業務にシフトしつつある状況です。人を活かして事業を勝たせることが私のミッションですし、採用以外の人事業務にも携わるのは、個人的にも意味のあるチャレンジだと思っています。

「これまでのマネージャーの中で、1on1をリスケしないのは吉成さんだけです」

――現状、注力していることは何ですか?
今注力してるのは、人事の組織自体を強くすることです。具体的には、2つの強みを持っている組織にしていきたいと思っていています。1つ目は、事業を牽引する力をもっとつけていきたい。人事のアクションによって、事業の成長スピードが変わるのを肌身で感じてきたので、そのような意識と動きを活発化させたい。
私一人が推進するのではなく、組織全体で実践したいのです。2つ目は一人ひとりの従業員に対して寄り添って、成長の機会を提供できる組織になること。一人ひとりのメンバーの集合体が会社ですから、個の力を伸ばせば、おのずと会社も成長していきますから。

――そのような人事組織を作っていくために、足元では何をやっていますか?

私も色々と指示を出すことはあるけれど、ベースにしたいのは人事メンバーの考え方です。一人ひとりの「こうしたい」という話を大事にしたいので、1on1を積極的にやっています。そういえば、人事のあるメンバーが「これまでのマネージャーの中で、1on1をリスケしないのは吉成さんだけです」と言っていました(笑)。メンバーが何を思っているのか、どうしたいのか、そして私にどうして欲しいのか。その認識をそろえることが大前提です。メンバーの意思と経営をつなぐのが私の仕事だと思っています。

人事メンバーの一人ひとりが、「事業の成長に貢献している」と肌で感じられる組織を残す

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−この先の目標はありますか?3〜5年くらい先を見据えて。

まずは、私が経験してきたことを、組織のナレッジとしてきちんと定着させること。そして、事業と従業員の成長を牽引できる、強いマインドを持った組織を作ること。そうなれば、仮に自分がいなくなっても、Chatworkという会社は成長を続けることができる。グロースするための「永久機関」を作ることが、究極の目標ですね。
私自身は、役職にはあまり興味が無くて、CHROを筆頭にした人事の責任者になりたいわけではありません。自分が最もインパクトを与えられるポジションにいられればいいんです。3〜5年後に、私が人事の責任者をやっているかもしれませんし、どういう立場にいるかは分かりません。ただ、人事メンバーの一人ひとりが「事業の成長に貢献している」と肌で感じてもらえる組織だけは、この会社に何としても残しておきたいのです。