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19歳で光通信に全てを捧げた営業が、入社半年で「The Model」に変革をもたらす

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Chatworkにインサイドセールスとして入社して半年。野田 愛梨は今年で28歳になった。中学・高校時代は吹奏楽部の強豪校で過ごした。スパルタ教育と挫折を経て、19歳の時に「何もない自分でも勝負できる」と、光通信の直販部隊に営業として入社。「絶対即決」の文化の中、どのように自分を鼓舞したのか。そして、現在Chatworkのインサイドセールスとして、どのようなバリューを発揮しているのか。この半年で、自身がどのように変化したのか。感情豊かに詳しく語ってくれました。

■プロフィール

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野田 愛梨
ビジネス本部カスタマーエクスペリエンスユニット
セールス&サクセス部インサイドセールスチーム

中学・高校は吹奏楽部の強豪校に所属。フルートを担当して中学時代に全国金賞に輝く。高校卒業後、アルバイト勤務を経て、19歳のときに光通信の直販部隊に営業として入社。OA機器のテレアポ新規営業を担当。その後、出版社や元同僚が立ち上げた会社を経て、2021年7月にChatworkにインサイドセールスとしてジョイン。

中学の吹奏楽部が原点。「腹式呼吸」と深夜3時からの練習で鍛えられた

――今の営業の仕事につながっている、原体験は何かありますか?

中学時代の吹奏楽部での活動ですね。公立の学校なのですが、全国トップクラスの実力校に通っていました。厳しい指導を受けていて、先生に叱責されたりは日常茶飯事でした(笑)。私はフルートを担当していたのですが、高い表現力を身につけるためには徹底した基礎練習が不可欠で、音をぶれなく均等に伸ばし続ける練習をひたすら続ける日もありました。土日の練習メニューは、午前中はずっと「腹式呼吸」の練習をさせられて、午後は合奏で夕方まで5つの音をひたすら伸ばし続ける。地道な作業をひたすら繰り返し続けるのです。しかも、できなければ容赦なく叱責されるので、どんどん部員が減っていく。
その猛練習を耐え抜いて残った部員たちが一体となって、予選、都大会を通過し、全国大会で金賞を獲得したときは、みんなで泣いて喜びましたね。たった3分の曲の演奏のために、数十人が膨大な時間を費やして、そこで賞をとったときの達成感。それまでの人生で本気で頑張ったことがなかったので、自分の中にもその体験は色濃く残っています。死に物狂いでやれば、結果はついてくると。そして、その原体験は今のセールスの仕事でも活きています。

高卒で浪人しながらフリーターに。勤務先を半年でクビになったショックは、今でも忘れない

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――高校以降も音楽を続けたのでしょうか?

高校も音楽が強い学校に入ったのですが、挫折を味わいました。全国から選りすぐりの生徒が集まると、その中には天才が混じってるんですよ。どんなに練習しても、追いつくことは出来なかった。。その時点で、高校卒業後に音楽の道に進むのは諦めました。高校時代に全く勉強をしていなかったので、浪人は既定路線だったのですが、何を思ったのか、衝動的に家を出てしまいました(笑)。貯金はゼロ。一人暮らしでアルバイトをしながら勉強をすれば、何とかなるだろうと。そこで働いたのが、太陽光パネルの会社でした。アルバイトと言えど、パネルのメーカーに発注する仕事を任されて、正社員とほぼ同じ業務内容で、やりがいを感じながら働いていました。

――高校を卒業してすぐに、そのような仕事をこなせるのは凄いですね。

ただ、その会社の業績が急速に悪化して、入社後半年でクビになりました。私だけではなく、アルバイト全員が解雇されたのですが、ショックでしたね。自分が頑張っても、どうにもならないこともある。せっかく仕事も上手くいっていたのに、こんなことがあるんだと。高校卒業後まだ半年の私には、何のスキルも無い。明日からどうやって生活していけばいいのか、途方に暮れました。あのときの「クビ宣告」で受けたショックは、いまでも忘れることができません。

19歳のときに、光通信の直販部隊の営業に転職。「絶対即決」スタイルで鍛えられた

――太陽光パネルの会社を解雇された後は、どうしましたか?

次の職場を探していたときに出会ったのが、光通信です。「学歴不問」「一発逆転」「自分の力でのし上がれる」というメッセージに惹かれました。親や友人からは他の内定先への転職を勧められたのですが、二度とクビになりたくない想いと、「営業は、利益を生み出す仕事だからクビになることはないよ」と、当時の人事に言われた言葉を信じ入社を決意しました。厳しい職場だと言うことはもちろん聞いていましたが、中学・高校時代に、休みの日も、テスト期間もずっと楽器を吹いていたので、限界以上の何かを課されることにも慣れていました。先輩から怒られた経験も豊富だったので、何とかなるだろう、と(笑)。19歳の冬に、光通信の直販部隊に飛び込んだのです。

――光通信では、具体的にはどのような仕事を?

1日に300件電話を掛ける、テレアポの新規営業です。午前中に電話を掛けてアポを取って、午後に訪問する流れになります。東京だけではなく、北陸や北関東も担当エリアだったので、電話を切ったらそのまま新潟にまで移動したことも。会社からは「絶対即決」を求められるので、受注をいただくまでは帰れません。
商談先の社長が「これから別の打ち合わせがあるので」と言われたら、何が何でもついていったり、帰ってくるまでひたすら待ち続けていました(笑)。200〜300万円のOA商材を売るので、即決はなかなか難しい。最後は「お願い営業」をするしかありません。夜中の11時や12時まで掛かることも多く、午前3時まで商談を続けたこともありますね。。。地方での商談は宿泊が前提になり、いつアポが入るかも分からないので、平日にプライベートの予定を入れたことはほとんどありません。そして、大学に行くことを考える余裕もなくなり、受験は辞めました。

営業としての限界にぶつかり、自分の無力さに涙した

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契約が取れないと上司に詰められることもありますが、退職をしようとは思いませんでした。「営業として上位の成績を取りたい」「自分の力を証明したい」という想いが強かったので、走り続けることができました。ただ、ランキングが毎日配信されるのですが、「中の上」に入るのが限界でしたね。こんなに頑張っても上位に入れないのか、、と、辛いというよりは、悔しい毎日を過ごしていました。
営業としてのスキルを向上させるために、上位者の商談の録音を聞きまくりました。でも、いくら真剣に聞いて真似ても、なぜか上位者との営業成績の差は埋まらない。それが悔しくて先輩社員に「私の商談と何が違うのですか?」と質問するのですが、的確な答えが見つからない。当時は泣きながら、悔しさの袋小路に入っていましたね。
音楽で天才と出会ったことを話しましたが、趣味での挫折は他の道を探せば問題は無いのですが、本業だと逃げられない。何とか自分の力で乗り越えるしか道はない。だから、余計に自分の無力さを感じて悔しかったんです。しかし、入社してから2年半が経って、私が所属していた事業が縮小になりました。これ以上は自分にやれることはないと、退職を決意したのです。

年間トップの営業成績が、コロナ禍で一気に暗転

――光通信を退職して、次はどのような仕事に就いたのでしょうか?

21歳のタイミングで、自費出版の営業職に転職しました。経営者やコンサルタント、ファイナンシャルプランナーなどのお客様に対して、「費用を負担していただきますが、本を出しませんか?」と勧める仕事です。自分でアポを取ることから始めるので、光通信時代と営業職スタイルは変わりません。地道に行動量を担保することで、一定の成果を出すことができました。その出版社に3年勤めた後に、光通信時代の上司が立ち上げた会社に移りました。当時、私が商談の録音を泣きながら聞いたり営業先で粘っていたのを見てくれていた方で、様々なフォローをしてくださりました。その方のお誘いだったので、恩返しをしたいと転職しました。
商材は光通信時代と同じOA機器だったのですが、アポイント件数で1位を獲得することができました。設立2年目の会社だったとはいえ、年間ランキングで1位を取れたのは、とても嬉しかったですね。ただ、その矢先にコロナ禍になり、一気に暗転。地方のお客様が多かったので、「東京から伺います」と伝えた瞬間に電話が切られる。「このご時世にアポの依頼をしてくるなんて、非常識だと思わないの?」と言われたことも何度もありました。お客様がおっしゃることも正しいですし、私も悪いことをしているわけでもない。自分の力ではどうすることもできないのは、悔しかったですね。最初にアルバイトとして入社した会社をクビになった、あのときと同じ感覚でした。

光通信で培った営業スキルが、「The Model」でも通用するのか?

――その後にChatworkに入社しましたが、その経緯を教えてください。

この仕事の意義は何?と自問自答する中で、このコロナ禍で逆に伸びている業界に入って、セールスのスキルを活かしたいと転職活動を始めました。そこで、たまたまChatworkに出会ったのです。実は出版社に勤めていたときに使っていて、すごく便利だったので覚えていました。
それまでは「個の力」で突破する営業だったのですが、「商材の強さ」や「仕組みの力」にも触れることでセールスとしての幅も伸ばせると感じて、入社を決めました。光通信時代、出版社時代に後輩の指導を任されたことがあったのですが、「個の力」を標準化する難しさを痛感していて、再現性のあるセールススキルを習得したい、という想いもありました。
そういった想いは持っていましたが、営業のスタイルが180度異なるので、私の強みが活かせるかどうかは半信半疑でした。300件の電話を掛けて、お客様に深夜まで張り付いて即決を迫る。そのようなスキルが、Chatworkのインサイドセールスで果たして活かせるのか。体育会系のゴリゴリの営業スキルが、いわゆる「The Model」でも通用するのか。不安はありながらも「どのくらい通用するかどうか確かめたい!」と思い入社をしました。

「定量」「定性」って何?まず、話している言葉の意味が分からなかった

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――2021年7月の入社ですが、最初に担当した仕事は何ですか?

インサイドセールスチームの立ち上げです。最初は、先輩の宮本さんhttps://chado.chatwork.com/entry/2020/12/15/100000と2人だけでした。営業のスタイルも社風も全く異なる環境だったので、慣れるまでが大変でしたね。
話している言葉がまず分からなかった(笑)。「定量」「定性」という用語は、生まれて初めて聞きました。「定量的に振り返ってください」と言われたときは、漢字の意味が何となく数学っぽいから、数値で振り返るのかな。。。といった具合でした。「具体的に」「抽象的に」という言葉は、意味自体は分かりますが、仕事のシーンでは聞いたことがなかった。何をどうすればいいの?と、戸惑いました。まさに、外国に留学したみたいでしたね(笑)。

一番驚いたのは、架電したお客様に感謝されること

――あまりにも環境が違うのですね。そこからどのようにキャッチアップしたのでしょうか?

これはマズい。と感じていたら、宮本さんが察してくれたのか、手厚いフォローをしてくれました。1on1を毎日2回、朝と夕方に実施し、業界ごとの活用事例を勉強するために、ワークシートをつくってくださって、自分で書き込んでいきました。
詰められたことは一度も無かったです。毎日の架電結果をきちんと見てくれて、丁寧な振り返りをしてくださいました。私の大量の電話のログを聞いて下さって一言一句アドバイスをいただいたり、ロープレにも何度も付き合ってくれました。宮本さんのおかげで、約1ヶ月でセールスとして自走できるようになったのです。
そして、この会社に来て一番驚いたのは、架電したお客様に感謝されること。こちらからいきなり電話をしても「Chatworkをいつも使わせていただいてありがとうございます」とお礼を言ってくれます。ガチャ切りは一度もありません(笑)。採用面接の時に、役員の方から「Chatworkは人に感謝されるプロダクトなんだよ」と言われたことが腹落ちしました。

半年間の仮説検証で、無料会員の有料化への勝ち筋が見えてきた

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――セールスとして独り立ちしてから、どのような仕事を担当しましたか?

インサイドセールスとしての基礎が固まった後、資料請求を行っていない無料会員の有料化に取り組みました。担当は私を含む4人チームです。「The Model」型のインサイドセールスは、資料請求いただいた方に架電を行い、契約を促すのがメインの仕事になります。一方で、私が担当しているお客様は、「取引先からの指定があったのでチャットに参加した」という方がほとんど。そして、資料請求を行ったお客様よりも圧倒的に数が多い。400万人以上(2021年9月末の無料ID数)の中からどこへアプローチすれば良いのか、分からない状態でのスタートでした。
まずは、この仕事の会社内での位置づけや、社会に対する意義を正確に把握するために、過去のミーティングの議事録を全て読みました。光通信時代に、優秀な営業の商談ログを片っ端から聞きましたがそれと同じですね。ミーティングは毎日開催されていて、膨大なログが残っていました。それらの全てを読み切ることでチーム理解の解像度が上がり、自分のなすべきことがより明確になりました。
そして、どのお客様に当たれば成約の確率を高めることができるのか、仮説を立てられるだけ立てて検証していきました。メッセージ送信数が多い人がいいのか、グループチャットに多く参加している人が可能性が高いのか、会員になってから早い時期の方が成約しやすいのか。お客様に架電しては振り返りを重ねる中で、徐々に勝ち筋が見えてきたのです。

営業としての幅は格段に広がった。ただ、光通信時代のあの日々は忘れたくない

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私自身、がむしゃらに電話を掛けて食いついていく営業から、仮説を立てて正解を探していく営業へと少しずつ変わっていきました。そして、自分でできることの幅は格段に広がりました。これからのChatworkの有料会員数の急速なグロースの戦略の貢献に関われたのが嬉しかったですね。振り返ると、そんな半年間だったと思います。
ただ、地方の訪問先の社長に、夜中の3時まで張り付いて、必死になっていた自分も忘れたくはありません。二度とクビになりたくない。上位に入って自分の存在価値を証明したい。あの毎日があったからこそ、今があるんだろうなと思います。「自分のために」その一心で仕事をしてきた私が、「チームのために」「お客様のために」営業ができるようになりましたし、社会から必要とされる実感も少し感じることができました。Chatworkの皆さんには、この半年でそこまで導いてくださって感謝しています。
インサイドセールスとしての理想はまだ見えていません。この領域は思った以上に深いんですよね。SaaS業界のセールスの新しい在り方を探求することが、今のミッションなので、私自身がそうなっていくことで証明したいです。そのときに初めて、「私、もう大丈夫。このままやっていける」と思えるようになる。そう信じて、今は前に進んでいます。