大学時代のカラオケ店のアルバイトで経営と数字の面白さに触れ、住宅建材メーカーの新日軽(現・LIXIL)で経理・財務職を経験した廣島。入社4年目で、LIXILへの合併時の移行を手掛けた後に、メットライフ生命で営業職に転身しました。そして、2015年11月、黎明期のChatworkに「1人目の経理・財務専任担当」としてジョインし、株式上場などを牽引。現在も急成長を続けるChatworkでの、経理・財務の役割や仕事へのこだわりを聞きました。
■プロフィール
廣島 衛
コーポレート本部 経理財務部 マネージャー
富山県出身。2006年に滋賀大学経済学部を卒業後、新日軽に経理担当として入社。LIXILへの合併時の移行作業を経験。自ら事業を経営するためにモノを売るスキルを身につけたいと、2012年7月にメットライフ生命に営業職として転職。1000名以上の方と出会い営業の難しさと楽しさを経験した。2015年11月、1人目の経理・財務専任担当としてChatworkにジョイン。
原点はカラオケ店のアルバイト。新日軽では、LIXILへの合併時の会計移行をリード
――学生時代までの経験で、今に活きているものはありますか?
キャリアの原体験は、大学時代のカラオケ店のアルバイトです。私が勤めていたお店は、店長がほぼ不在で、アルバイトスタッフが主導して店舗運営を行っていました。売上、利益、原価率などの数字が全てオープンになっていて、目標を超えた利益はアルバイトに還元。時給もスタッフ同士で決めていたほどで、夢中になって仕事をしていましたね。イベントを企画してビラを配ったり、飲食物のオーダーを増やすためにPOPを作ったり。皆で頑張った結果、お店の売上が上がっていくのも、単純に嬉しかったです。事業の構造を体で覚えることができたのも良い経験ですね。財務上の数字と人の泥臭い頑張りが、密接にリンクしていることもここで学びました。
――そして、新卒ではどのような会社に就職しましたか?
新卒の就職先として選んだのは、メーカーの経理職です。きちんと経理や財務について勉強したかったので選びました。今のLIXILのもとになった企業のひとつで、新日軽という会社です。若手に任せる社風が追い風となり、入社3年目には連結決算業務まで一通りの業務を経験できました。
そして、転機が訪れたのは入社4年目のこと。LIXILへの統合の際に、財務会計上の処理の方針をほぼ一人で進めたのです。当時、新任の上司は財務会計の経験が全くなく、周りにも知識を持つ人がいませんでした。否応無しに私が担当することになったのです。
特に大変だったのが、存続会社と新日軽では会計管理のスタンスが異なっていたこと。より厳格な管理が求められたため、すべての管理方法を変更する必要がありました。新日軽には約40社の子会社が存在していて、その経理担当者全員に新ツールの使い方や会計基準をインプットするのには骨が折れましたね。
レクチャー後にも山のような問い合わせをいただき、その対応だけで1日が終わった日もありました。社会人4年目で経験したあの修羅場は、今でも思い出に残っていますし、そこで培ったスキルや胆力が、Chatworkの上場準備のシーンでも活きています。
――まだ若手だったのにもかかわらず、そこまでの重い業務をやり切れた理由は何ですか?
新日軽に勤めている人たちが、好きだったからです。当時はあまり業績が良くなかったのですが、その状況を何とか打開しようと、有志で集まって議論を尽くしていました。会社の未来を純粋に考える人ばかりで、この人たちのためにも、そして自分のためにも、新日軽という会社を存続させたかったのです。
――そして、翌年に合併後のLIXILを退職することになります。どのような背景がありましたか?
将来は自分で事業を回してみたいと、ずっと考えていました。経理や財務のスキルは一通り学べたので、次は営業力を獲得したかったのです。モノを売るシーンに一度も立ったこともなければ、お客様との接点を持ったこともない。それでは事業を立ち上げて運用することは難しいと考え、営業部への異動を直訴したのですが、あっけなく撃沈(笑)。上司からは「経理の道で上を目指して欲しいから、次の10年は全国を回ってきてくれないか」と逆に諭されました。やはり営業に挑戦したいという思いが強く、転職を決意したのです。
生命保険の営業へと転職。資産家の社長から生活困窮者まで、様々な人生のリアルに触れた
――そこから、メットライフ生命へと転職しますが、どのような経緯で選んだのですか?
知人の紹介で興味を持ちました。未経験から営業にどっぷり浸かるには、生命保険が最適だと考えたのです。自分の売上の一部が還元される、フルコミッション型の営業職です。
とにかく見込み客の獲得が大変でした。日々約400件のテレアポをやりましたし、毎週のように飲み会を開いて接点を持ったりもしました。また、独自のアプローチとして挙げられるのは、宗教法人の営業です。宗教法人の御住職様に「退職金制度を導入しませんか?」とご案内してまわりました。
――約3年半の生命保険の営業活動を通じて、得られたものはありますか?
モノを売るスキルは身につきましたが、それよりも、世の中の色々な人と接したことが大きいですね。1000名以上の方とお会いしたのですが、資産家の社長もいれば、生活困窮者の方もいらっしゃいました。生命保険の営業は「お客様の人生」を扱う仕事ですので、数々のリアルな生き方に触れることができたのは、今の仕事でも活きています。メーカーの経理で数字を見ている時とは、全く違う世界がそこにはありました。数字の根っ子には、一人ひとりの人間の営みや感情がある。それらをリスペクトして、コミュニケーションを取れる能力は、今の経理・財務の仕事にも活きています。
2015年、浅草の雑居ビルの一室にあったChatworkへ。家族的な雰囲気に惹かれて入社した
――そして、メットライフ生命を退職することになったキッカケを教えてください。
2015年に息子が産まれたのです。生命保険の営業の仕事は、どうしてもお客様の都合を優先するので、なかなか自由な時間を取ることができませんでした。家族のための時間をもっと取りたいと思い、転職を決意したのです。
メーカー時代の経理・財務のスキルと、生命保険業で培った営業のスキル。どちらを活かそうか悩んだのですが、より勤務時間の融通が利きそうな、経理・財務への転職を選びました。
――そのなかでも、Chatworkの経理・財務を選んだ理由は何ですか?
当時のChatworkの人事部長が、高校の同級生の知り合いで、そこから接点が生まれました。オフィスを訪れて何人かの社員の方とお話ししたのですが、優しくていい人ばかりで惹かれました。当時のオフィスは、浅草の合羽橋商店街の雑居ビルでした。「こぢんまりとした場所で家族的な雰囲気の中で働くのもいいかもな」と思い、入社を決めました。
資金調達が失敗したら、社員に給料が払えないような厳しい状況だった
――最初はどのような仕事を担当したのでしょうか?
経理・財務の専任担当としても1人目の社員でしたし、バックオフィスの専任社員も当時は私だけでした。入社初日に上司から「今月も乗り切れますかね?」と質問されたのには驚きましたね(笑)。私の方で支払いの内容を1件1件確認して、「問題無く乗り切れます」と返していました。
私が入社したのは、シリーズBの資金調達の交渉を行っているタイミングでした。上手くいったので問題ありませんでしたが、仮に調達ができなければ社員の給料が払えなくてもおかしくはなかった。それくらい資金的には厳しい時期だったので、お金の使い先や管理手法を徹底的に精査しましたね。「何とかして、この会社を成長基調に乗せたい」という一心で仕事をしていたのです。役員陣も死に物狂いで頑張っていたので、自分も全てを出し切って会社に貢献したかった。経理・財務担当は自分しかいない。その責任を果たすことだけを考えて食らいついていたら、少しずつ会社が成長基調に乗り始めたのです。
株式上場にあたって、多くの仕組みをゼロから構築。楽しかった記憶しかない
――そして、Chatworkは順調に成長して、2019年9月に株式上場を果たします。上場準備はどのように行いましたか?
メンバーは4名です。CFOの井上さん、当時のバックオフィス責任者で現CHROの西尾さん、経営企画室のメンバーと私。大変ではありましたが、仕組みをゼロから作っていくのは非常に楽しかったですね。新日軽では、出来上がった仕組みを運営する仕事が中心だったので…。
上場準備で注力したのは、過去の会計データ整備と規程の作成。過去データは5年分をさかのぼったのですが、きちんと整合性を取るのがなかなか大変でした(笑)。走りながら、月次の経理を回す状態だったので、整理するのに労力が掛かりました。また、規程の作成にあたっては、私には経験が全く無く、一つひとつの規程の意味を勉強することから始めました。上場準備を行っていたときは、成長実感を持ちながら仕事ができたので、辛いというよりも、楽しいという感情が勝っていたと思います。
――LIXILの合併時と同じく、ご自身が中心で進めなければならないのは、プレッシャーも大きかったと思うのですが。
確かに、似たような環境でしたね。自分がやるしかない状況ですので、プレッシャーはありましたが、強い気持ちで進めるしかなかった。上場準備メンバーの4名全員が、己の力を振り絞って、全力で準備にあたっていたと思います。
ただ、LIXILのときとの違いは、CFOの井上さんがいてくれたこと。役員陣や証券会社の人たちに対して、ポイントを絞って説明していただき、私にも的確にアドバイスをしてくれて、スキルがとても高い方だと感じました。こちらが意図したことが的確に伝わるので、スピード感を持って進めることができました。元リクルートでIndeedの買収に関わった経験からにじみ出るものは、やはり凄かったですね(笑)。
――そして、上場した瞬間は、どのようなことを考えましたか?
東京証券取引所で鐘を鳴らしたときの正直な感想は、「鐘を鳴らすハンマーが意外に重い」というものでした(笑)。確かに嬉しくはありましたが、これからが大変だ…と、身が引き締まりましたね。株価が付いてマーケットに出た瞬間に、やらなければならないことが一気に増えます。それまでは社内で完結できたことを、マーケットにも提示しなくてはならない。その責任にどう向き合って行くのかを、セレモニー後からずっと考えていました。
野心的な中期経営計画の達成へ。重視しているのは、正確な実績把握と現場の声を参考にした仕組み作り
――そして、今、「2024年度の売上100億円、年平均成長率40%」という野心的な中期経営計画を掲げています。その目標に向けて、経理・財務がやるべきことは何ですか?
私たちのチームの強みは、企業の数字が全て集まってくるため、事業のグロースを数字で横断的に把握できること。数字の動きを見ながら、グロースを加速させるために正確な実績を把握し、現場の声を参考にした仕組を作ることが、最も大切なミッションだと考えています。例えば、事業成長により寄与できる、資金活用の手法や業務フローを考えたり、今後より活発になるM&Aに関することも、経営企画と共同で担当しています。
そのような仕組み作りのために、現場とのコミュニケーションを積極的に図っています。経理の視点のみで作られた仕組みは、やはり上手く機能しないのです。現場へのヒアリングを行うだけではなく、普段から「話し掛けられやすい雰囲気」を作っておくことを大事にしています。セールス、プロダクト開発、事業開発チームのメンバーと、フランクに雑談することで、我々がやるべきことが見えてくるのです。
――経理財務部は、どのような雰囲気なのでしょうか?
マネージャーの私も入れてメンバーは5名です。単体決算を中心に行っているのが2名、連結決算を担当しているのが2名という体制で運用しています。まずはチーム内のコミュニケーションから、ということで、雑談の時間を意図的に設けています。私は家族の話をすることが多いですね。他社と比べても、かなり柔らかい雰囲気の経理・財務チームだと思います。
経営陣にも提案しやすい。他部署も巻きこみやすい。守りと攻めの両輪を合わせ持った経理・財務が会社を変える
――この急成長期のタイミングで、経理・財務の仕事の醍醐味は、どこにありますか?
他の会社では珍しい経験が積めることです。例えば、M&Aひとつ取っても、その検討のためのルールや、与信枠や回収のフローを設計したり、合併後の会計、財務、税理の仕組みを作ったりと、あらゆる業務を経験できます。
Chatworkという会社本体でも、社員が増えて、事業も拡大していきます。その成長を後押しする業務設計や会計システムも、自分たちから発信して形にしていくことが可能です。変化に対して非常にポジティブなカルチャーを持っているので、他部署も巻きこみやすいですし、経営陣への提案機会は定期的にあります。実際に、すでに幾つかのプロジェクトが動いていますね。
私自身、2015年から在籍していますが、会社の成長とともに、自分自身が成長してきた実感が強くあります。自分で考えて、自分で実行する経験を、毎日積み重ねることができるからだと思います。
上場し、社会から求められるレベルが上がったので、その要望に応えられるように私たちも進化しなければなりません。Chatworkは上場前も今も変わらず、成長著しいベンチャー企業です。攻めているのは変わりません。ここまでの成長を持続するために、多くの人が攻めのスタンスで仕事をしてきました。積み重ねられた努力に報いるためにも、成長を止めない義務がある。それを果たし続けるのが、この会社に「1人目の経理・財務」として入社し、今はマネージャーとしてチームを率いる、私の仕事だと思っています。
撮影場所:東京オフィス(WeWork 日比谷 FORT TOWER)