楽天、ビズリーチ、ヤフー。数々のインターネット企業で、営業マネジメントや事業開発、またサービス責任者として事業のグロースを経験してきた千葉 重文。今は、Chatworkで新設されたカスタマーマーケティングの組織を率いている。過去の成功と失敗の経験がどのように活きているのか?日本のSaaSの未来を、Chatworkの中にどう見ているのか。赤裸々に語ってくれました。
■プロフィール
千葉 重文
ビジネス本部カスタマーエクスペリエンスユニット
カスタマーマーケティング部マネージャー
宮城県仙台市出身。大学卒業後、2008年に楽天入社。楽天トラベルの営業マネジメントを務める。2013年にビズリーチに転職し、事業企画へとキャリアを転身。2014年よりヤフーへ転職し、事業開発としてYahoo!トラベルでの手数料無料サービス立ち上げや、同グループの株式会社一休やダイナテック株式会社のPMIに従事した。その後、SoftBank Vision Fundの出資先である、OYOの日本進出に向けたJV設立を担当。グループ会社ダイナテックでのサービス責任者を経て、2021年6月にChatworkにジョイン。趣味はロードバイク。
楽天の5年間は、営業として過ごした
――大学を卒業して、どちらの会社に就職しましたか?
新卒で入社したのは楽天です。就職活動を行なっていた2006年-2007年当時は、「Web2.0」という言葉が流行っていました。今後の世界を作るのはインターネット業界だ、しかも当時の業界の象徴とも言える六本木ヒルズで働くとモテるのでは!?と思って入社を決意しました。加えて、地元の仙台に多少なりとも関わりたいという気持ちもあったので、仙台に球団を創設した楽天に行けば、その願いも叶うかも、と思ったのも理由のひとつです。
楽天では、5年間働きましたが、最も長い時間を「楽天トラベル」の営業として過ごしました。ホテルや旅館のお客様に対して広告商品を営業したり、予約数を増やしてもらうために宿泊プランのコンサルティングを行うのが仕事です。楽天は当時から膨大なデータ量を活かした徹底した仕組み化の会社であったので、最初はそのテンプレートに乗っかった提案営業をしていました。そこから徐々に扱えるデータ量や項目も増えてきたので、自分やチームで独自に企画した施策を行なっていくのですが、ユーザー数もトラフィックも多いサービスなので当たる施策を行えばすぐ反響がありますし、おまけに担当の顧客からも予約が増えれば感謝ばかりされますし、若いうちからマネジメントも経験させていただき、ハードワークで大変だったんですが、めちゃくちゃ楽しかったですね。
地元仙台に赴任後、1ヶ月で震災が起こった。復興のために、記憶がなくなるくらい働いた
――楽天での仕事の中で、何か転機はありましたか?
2011年2月に、球団ではなかったんですが、楽天トラベル内の異動で念願叶い仙台に赴任しました。それまでに月間で1位の広告売上成績を残したり、営業としてすごく脂が乗っていた時期だったので、自分としては満を辞して地元に凱旋するぞ!という気持ちで意気込んでいました。そんな異動の1ヶ月後に震災が起こりました。
「これからどうするんだ、、、」と途方に暮れる毎日を過ごしていたのですが、復興が進むにつれて宿泊需要が回復。しばらくすると、復興支援のために全国から建設系の業者の方々が訪れるようになり、特需のような状況になりました。
このときの記憶は正直曖昧な部分もあるんですが、そのくらいガムシャラに働いてました。「生まれ育った地元の復興に貢献したい」という強い想いを、地元のホテルや旅館の皆様とカタチにするのが仕事でしたから。ただし、ビジネスなので、他社との競争には勝たなくてはならない。そのために顧客へのアプローチを変えました。震災前、仙台地区でのOTA(Online Travel Agent)流通額で楽天トラベルは2位で、1位のサービスとは倍くらいの差をつけられていました。普通にやっていたら勝てないな、、と考え、競合の戦略を逆張りし、提案内容を180度変えました。一般的な旅行予約サイトの勝ち筋である「お得なプランの販売をしてホテルの売上を伸ばす提案」から「プランの価格を上げて在庫を必ず出し販売する方法」へチーム全体で徹底的に切り替えました。当時は需給バランスが崩れ、供給側が優位だったので、高く売れる場を作り市場の在庫を楽天だけに寄せまくりました。この施策が奏功して、1位の会社を逆転することができました。あのときは、復興に貢献した実感も相まって嬉しかったですね。
ビズリーチの南 壮一郎さんからの「企画やってみないか?明日から。」
――楽天の次は、どのようなキャリアを歩みましたか?
よりビジネスの根幹に携わり事業づくりをしたいという想いをずっと持っていて、営業だけの経験からスキルを増やそうと思い、転職したのが当時まだ100人に満たない頃のビズリーチです。社長の南壮一郎さんも楽天出身でイーグルス創設時に仙台にいたこともあり、共通項も多かったことから目にかけていただきました。
当初営業をやっていたのですが、楽天仕込みの仕組化営業を実践していたところ「お前は、事業や仕組みを作る側が向いてるから企画やってみないか?明日から。」と突然声をかけてもらいました。そこから、人材紹介会社向けサービスの事業企画を担当しました。このジョブチェンジがなければ今の自分はないので、本当に南さんには感謝しています。
ただ、事業企画と言われても、お恥ずかしながら当時は何をやる職種なのか具体的にわからず(笑)、社内でもそのようなポジションを選任で担っている人がいなかったので、まずはググることから始め、他の会社の事業企画の方々に毎日話を聞きに行きました。
そこでKPI設計の仕方から、データや顧客の一次情報を元にサービスを改善し続け、各指標の見込みを計算し、目標値まで上げるプランニングをしていく、という事業作りの土台を学びました。
ヤフー小澤隆生さんからの「OYOって知ってるか?ちょっとインドに行ってくれない?」
ビズリーチで事業作りの基礎的なスキルを学んだ後に、ヤフーへと転職。楽天で培ったトラベル領域での知見やビズリーチで得た事業企画の経験を活かして、事業開発としてYahoo!トラベルのアライアンスやM&Aした株式会社一休のPMI、ダイナテック株式会社の5ヵ年計画アップデートや民泊関連の新規事業を担当しました。一休.comについてはYahoo! JAPANの膨大なトラフィックを様々な仕掛けで送り込むことに成功し、大きく事業成長することができ、社内外から「M&A成功事例の代表格」とまで言われるようになったのは苦労した甲斐があったなと感じています。
ここでまたキャリアの転機が訪れます。当時ショッピングカンパニーの担当役員で、現COOの小澤隆生さんに呼ばれ、「OYOって知ってるか?ちょっと日本に持ってきて成功できるか調査して欲しい。早速だけどインドに行って話聞いてきてくれない?」と言われ、OYOというサービスに関する誰が書いたかわからない海外のブログ記事だけを材料に、本社のあるインドに調査と交渉に行きました。そしてまた、ここから怒涛の日々が始まりました。
――いきなりインドですか!
ただ驚きました!OYOはSoftBank Vision Fundの投資先でインドでリーズナブルなホテル作りから運営、予約サービスを展開している、ユニコーン企業です。創業者のリテッシュ・アガワルは、孫正義会長も一目置く20代の若き経営者で、肝いり案件でもありましたので、失敗は許されないというプレッシャーと毎日戦っていました。
当時は民泊領域で日本参入を狙っており、そのための物件契約をする必要があったのですが、極秘案件でもあったため詳細は伝えられず、ただ「インドの会社が物件を契約したがっている、我々はそのエージェントだ」みたいなスタンスで不動産オーナーに毎日頭を下げていました。交渉も難航することも多く、しまいには、「インドのイーロンマスクのような起業家がこの物件を借りたがっている、まずは話を聞いてくれないか」というよくわからない交渉を本気でしていました(笑)
――なかなか泥臭い仕事ですね。。
ただ、そこまでやっても、軌道に乗らなかったのが正直なところです。日本の「民泊新法」が民泊を強く推し進められるものでなかったこともあり、そのビジネスモデルに乗ってくれるオーナーや会社が少なかった。「この地域では、週1回しか泊まれません」と規定されているような地区も多く、事業展開や、ましてや収支をプラスにできる見込みどころではありませんでした。
結局、民泊の事業からはローンチ前に撤退。自宅を好きに住み替えられる、「OYO LIFE」という不動産サービスにピボットし正式にサービスインしました。それと同時にローカライズ担当者も「Yahoo!トラベル」から「Yahoo!不動産」担当に入れ替えになって、私はプロジェクトから去りました。
――そのときのことを今振り返ってみて、いかがでしょうか?
正直、もうちょっと上手くやれていたら、という後悔の想いはあります。隣では、同じインド発の「PayPay」のプロジェクトがものすごい勢いで動いていたのですが、彼らの熱量は本当に凄かった。「アジアで席巻しているQRコード決済を、日本でも根付かせる!」という強い想いを感じました。そこまで自分たちの事業を信じ切ることができれば、もしかしたら日本が変わっていたかもれない。そう思い返すことは、今でもありますね。
事業をハンドリングできる立場に立ったが、コロナ禍が襲いかかってきた
――そこから、ヤフーのグループ会社の「ダイナテック」に移りますが、その理由を教えてください。
OYOのプロジェクトを通じて、「事業の決定権を握っていないと、自分自身のキャリアが左右される」ということに気付きました。同じことを繰り返さないためにも、自らがハンドルを握ることができる環境を探していました。その時、グループで兼務出向していたダイナテックなら、自分が培ったトラベル業界の知識を最大限に使いながら活躍できると思い、社長に「事業を本気でやるために引き抜いてくれないか」と直談判しに行きました。その社長からは「ヤフーからの100%出向という方法で良いか?」と聞かれたのですが、「いや、100%コミットするために出向ではなく転籍で行きます」と返しました。
ホテルや旅館向けのSaaS事業を担当して、そのサービス企画や売上管理、サービス全般の責任者を任されました。そして、経験してきた事業開発のスキルを活かし、他企業との提携や親会社とのシナジー強化等を短期間で行い、事業KPIも伸長し、まさに求めていた仕事に邁進していたのですが、その後、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を大きく受けることになります。旅行業界全体で大きな痛手を受ける中、コスト削減、不採算サービスのシュリンクや、従業員のアロケーションなど、痛みを伴う打ち手も実行せざるを得ませんでした。自分で意思決定ができるポジションにいたのにもかかわらず、プラスを作ることよりもマイナスを打ち消すことばかりで、退職前1年は本当にやりたかった事業成長に貢献できず、事業に関わるメンバーのみんなには申し訳無い気持ちでいっぱいでした。
伸びしろの大きさと、投資フェーズにあることから、Chatworkを選んだ
――そこからChatworkに転職されたのですが、その背景を教えてください。
ビズリーチやヤフー、そしてダイナテックでの成功や失敗の経験を通じて、事業やSaaSを成功させるための原理原則が、分かりはじめていました。根幹のKPIは同じで、事業フェーズによって見るべきものが違う。この知見を活かせる場所を探して、出会ったのがChatworkでした。ビジネスチャットの潜在市場は、他のSaaSに比べるとまだまだ大きい。また、領域に特化した「バーティカル型」ではなく、あらゆるサービスと連携できる「ホリゾンタル型」で、グロースの可能性に富んでいる。そして、コロナ禍で伸び続けていて、会社としても投資フェーズにあることが、魅力的に感じました。
2021年6月に入社して、意外にもカスタマーサクセス部に所属しました。私自身、事業開発屋と自負していたんですが、経験のないカスタマーサクセスにアサインされたのは驚きでした。
一般的なカスタマーサクセスは「1:1コミュニケーション」の形態で顧客支援を行う営業要素が強い「カスタマーサクセスマネージャー」と「1:nコミュニケーション」をコンテンツやデリバリーを駆使して推進する「カスタマーマーケティング」に分かれています。私は後者のカスタマーマーケティングを担当していますが、世の中ではそれほど認知されていない、新しい職種ということが経験してわかりました。
Chatworkにおけるカスタマーマーケティングは、「まだまだ事業開発フェーズ」
――カスタマーマーケティングの仕事の特徴は何ですか?
この職種の大変でもあり面白いことは、SaaSフリーミアムモデルのカスタマーマーケティングの成功事例が、一般的な有料化を前提としたSaaSとは違い、ネットを検索してもほとんど出ていないことです。無料で使い始めてから、有料会員になるまでのフェーズが長く、何か施策を打てばすぐに売上に跳ね返るものでもない。非常に正解が見えづらい世界なんです。だから、マーケティングではなく、「事業開発」のスタンスで取り組んでいます。ビズリーチやヤフーでの経験が大きく活きています。ビズリーチでは人材紹介会社のヘッドハンターが成約に至るまでの全てを指標化して追っていましたし、ヤフーでは様々なグループ会社のKPIをマネジメントしたり、Yahoo! プレミアム会員のリテンション施策を回していたりしたので、共通することが多いんです。
ここで詳しくはお話しできないのですが、試行錯誤を重ねる中で、ようやく筋の良いKPIと運営方法が見えてきました。おそらく、Chatworkにとどまらず、フリーミアムモデルのSaaS共通で活用できるものだと思っています。世に出ていない方程式を、自らのチームで見出しつつあるのは、この仕事の一番の醍醐味だと思っていますし、自分にとっての一番得意な「事業開発」のひとつだと思っています。ただ、まだまだ先は長いですけどね。
約440万人の働き方を変え、33万超の法人の成長を支援する
――チームには、どのようなメンバーが在籍していますか?
自分も含めて5人です。それぞれの個性が強いので、一緒に仕事をしていても心強いですね。元セールスで、法人顧客とのコミュニケーションに強みを持つメンバーもいれば、コンテンツ制作のクオリティとスピードにものすごく長けた人、前職でもテックタッチでのCRMを手掛けていたり、ユーザー獲得の豊富な知見を持つ人もいます。
Chatworkという会社は上場はしていますが、体感は上場前のシリーズCからDくらいのフェーズにあると感じています。投資フェーズにあるので、今後メンバーは増えていきますし、潤沢な予算をマーケティングに掛けることができます。私たちのチームの成長が、439万のユーザー(2021年6月末日時点)の働き方や、33万社以上の法人顧客(2021年10月末日時点)の成長に直結している。そのような自覚を持ちながら、新たな仕掛けを続々と打っていく。その失敗や成功から、更に多くのことを学んで行きたいです。