Cha道

Chatworkの「人」「組織」を
伝えるメディア

NHK記者から人事役員へ。共通点は、自分の弱さをさらけ出し、目の前の人に徹底的に向き合うこと。

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大学ではイタリア文学を専攻。休学の末、日本放送協会(NHK)の北海道支局に入局した西尾。6年間の放送記者としての取材活動の中で、様々な人生に触れる機会を得る。「このときに培ったことが、今の人事役員としても活きています」と西尾は語ります。
その後は一転してビジネスの道へ。シナジーマーケティングでの上場準備や組織作りを経て、Chatworkにコーポレート本部長としてジョイン。現在は執行役員CHRO兼ピープル&ブランド本部長を務めています。人事担当役員として、過去のキャリアがどのように活きているのか。急成長中の会社の中で、どのような課題を解決しようとしているのか、聞いてみました。

■プロフィール

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執行役員CHRO兼ピープル&ブランド本部長
西尾知一

京都大学文学部イタリア文学科卒業。2001年NHK入局。釧路放送局・札幌放送局の放送記者として、司法、自治体、スポーツなどを取材。2007年シナジーマーケティングに入社。IPO業務に携わり、その後管理本部長としてコーポレート業務全般を統括。2017年にChatworkにジョイン。IPO準備やバックオフィス部門の本部長を経て、2021年1月より執行役員CHRO兼ピープル&ブランド本部長に就任。

レーサーに憧れて、イタリア文学を専攻。そして、NHKの記者に

――どうして、京都大学のイタリア文学科に進学したのですか?

中学校・高校時代はカートに熱中していて、F1やフェラーリに憧れていたからです。あわよくばレーサーになろうと思い、大学ではカートのサークルに入って対外レースにも出場していました。しかし、なかなか結果が出ずにそのまま引退。打ち込めるものが無くなり、麻雀や競馬に興じる日々を過ごしました。就職活動もせずに卒業しようとしていたのですが、「このまま無職のままで卒業するのはマズい!」と、提出していた卒業論文を撤回。1年半休学をして就職活動をおこないました。
やりたいことも無いし、スキルも無い。イタリア文学で学んだことをかろうじて活かせそうに感じたのが、メディア業界です。新聞社を第一志望に、新聞を毎日スクラップして勉強していました。第二志望だったテレビ局を先に受けて、そこでNHKから内定をもらえたのですが、就職活動を早く終わらせたかったのと、会社も安泰で親からも受けが良かったので入社しました。

記者として学んだのは、泥臭い人付き合いの大切さ

――NHKでは、どのような仕事をしていましたか?

放送記者として北海道に赴任しました。1〜2年目は警察担当で、いわゆる「サツ回り」を夜討ち朝駆けでおこない、事件をいち早く報道することが仕事でした。そして、3年目以降は、自治体やスポーツを中心に担当するように。放送記者として第一に大切なのは、取材対象者との人間関係なんですよ。
捜査課の課長や町長や村長などのキーマンからネタをもらうためには、ベースとなる信頼関係が必要になります。だから、ひたすら世間話を席で1時間聞いたりとか、飲みに行ったり、家に泊まりに行ったりとか。とにかく一緒にいることで、自分の弱さをさらけ出しながら仲良くなることから始めました。取材対象になる方はクセのある人が多く(笑)、このときの「泥臭い人付き合い」が、今の人事の仕事観のベースになっています。

何が何でも報道する。そのスタンスが、後の仕事でも武器になった

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――たしかに、泥臭そうですし、記者は人間力が試される仕事ですね。他にNHKで学んだことはありますか?

もう一つは「何でもやる力」ですね。記者の仕事は「できません」と言えないんです。先輩に指示をされたら、何が何でもこなさなければならない。また、事件や災害があったら、自分のことは後回しにしても、報道しなくてはならない。当時のNHKはそういう社風でした。常にハードワークでプライベートはほとんどありません。仮に旅行に行く際には、全工程を細かく会社に報告する必要がありました。何かがが起こったら、瞬時に駆けつけるのが義務だからです。
そういえば、私がスポーツ担当だったときに、プロ野球の日本ハムファイターズが優勝したんですよ。コンサドーレ札幌も担当しながら、トリノ五輪の時期とも重複していて、全ての取材を一人でこなしていました。あのときはさすがに死ぬかと思いました。ただ、ここで鍛えられた「何でもやる力」が、この後のベンチャーでの仕事で武器になったのは間違いありません。

ジャーナリズム精神を突き詰めるよりも、ビジネススキルを身につけることを選んだ

――どうして、NHKからシナジーマーケティングへ転職したのですか?振れ幅が大きいと思うのですが。

その当時は、妻が2人目の子どもの妊娠をしていて、今後の人生を考えるタイミングだったのです。報道記者の仕事は家に帰れないこともしょっちゅうで、出張で1ヶ月家を空けることもありました。この先、定年までこの生活を続けて家族は幸せになれるのか。そこまでのジャーナリズム精神が自分にはあるのか。自問自答した結果、働く環境を変えるべく、転職を決意したのです。
ただ、当時は30歳手前に差し掛かっていましたが、世の中で活かせるビジネススキルはありません。エクセルもパワーポイントも使ったことがなかった。まずは食べていけるだけのスキルを身につけることが先決で、仕事を選んでいる余裕はありませんでしたね。
たまたまご縁をいただいたのが、シナジーマーケティングという会社です。マーケティング用のCRMツールを展開している企業で、営業職を募集していたので応募してみました。人と話すくらいしか、活かせる経験がなかったからです。で、内定した際にオファーがあった配属先が、経営企画室でした。これは全く想像していなかった(笑)。当時は70名くらいの会社で、上場準備を進めていて人が足りなかったから、そこにあてがわれたのでしょう。経験など全く無く、不安でいっぱいでしたが、そこからバックオフィスのキャリアを歩むことになったのです。

同僚から「ありがとう」と初めて言われた。仕事の新たな原点に

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――経営企画室では、どのような仕事をしていましたか?未経験の仕事で、大変なこともあったのでは?

なんとか仕事をもらわないとクビになる。本気でそう思っていたので、「なんでもやります!」と積極的に作業を請け負っていました。NHKで培われた力がここで活きたと思います。関西人の社長からは「西尾は言われたことしかせえへんな」と言われて、落ち込むことはありましたが何とか食らいついていきました。
無事に上場を果たした後は、常勤監査役に任命されました。「京都大学を卒業してNHKの報道出身」という経歴がキレイだったからだと思います。ただ、この仕事は、当時の会社ではフルタイムでやることがないんですよ。「このまま何もしなければクビになる」と、まだまだ未整備だった総務や法務にも首を突っ込みました。ホントは立場上は良くないんですけどね。
弁護士の友人を頼り、法務の知識を教えてもらって、少しずつ業務をこなしていたら、周りの人に感謝されるようになった。「西尾さん、この面倒くさい仕事を手伝ってもらって助かるよ」と言われたときは嬉しかったですね。それまで会社の同僚から「ありがとう」と言われた経験がありませんでしたから。
そこからは、とにかく周りの人の困っていることを解決するために、守備範囲を広げていきました。情報システム部門の仕事も請け負って、Linuxを学び、基本情報処理の資格を取ったこともあります。「食べていけるだけの専門性を身につけたい」とこの会社に入ったのですが、完全なゼネラリストになってしまった(笑)。正直、今になっても、専門的なスキルは自分にはありませんが、何でも物怖じせずにやれることが、逆に強みになっているとは思いますね。

シナジーマーケティングでの上場経験を活かして、Chatworkの成長を支援したい

――そして、Chatworkにジョインしたのですが、そのキッカケは?

シナジーマーケティングがヤフーに買収されて、自分のやれることが制限されるようになったことが大きかったですね。子会社の管理部門として、そこまで好き勝手にやれなくなってしまった。素人が法務やLinuxを触って、親会社に迷惑掛けるわけにはいかないじゃないですか(笑)。企業のステージが上がったので、仕方のないことですけどね。
そんなときにたまたまChatworkとの接点がありました。台湾に出張していたときに、Chatworkの前社長から「ウチもそろそろ上場を考えようと思っているのですが、手伝ってくれませんか」と声を掛けられたのです。自分もChatworkのユーザーで、生産性の向上も実感できたし、プロダクトの可能性を感じていました。加えて、シナジーマーケティングで上場前から会社の成長を支えてきた経験がそのまま活かせると思って、転職を決意したのです。

法務も人事もいない。そこから上場準備が始まった

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――2017年10月に入社して、どちらに配属になったのですか?

内部監査室長です。それだけはやめてくれ、と社長に伝えていたのですが(笑)。だって、社内のみんなに警戒されるじゃないですか。「外部から監査の人間がやってきた」と警戒されたら、バックオフィスの仕事がやりづらくなる。そこで、ほどなく「コーポレートサポート本部長」に肩書きを変更してもらいました。「コーポレートサポート本部」といっても、当時は経理2名、経営企画4名、総務3名の小さな所帯です。この部署の仲間とともに上場準備をしながら、会社としての今後の成長基盤をつくる。それが私のミッションでした。
ただ、そのためには、法務と人事が必要になるのですが、両方とも誰もいない(笑)。じゃあ、自分がやるしかない。まず法務の仕事としては、社内メンバーと弁護士の間に入り、交通整理をすることから着手しました。一方で、人事の経験は全く無かったので、見よう見まねで覚えました。採用面接は役員に同席してもらって作法を身につけ、何とか一人でこなせるように。「本部長」とはいえ、新卒社員みたいでしたね。

プライドも偏見も無い。周りの人からの助けを請えるのが、自分の強み

――でも、本部長の肩書きが有りながら、ゼロからやろうとできるのがすごいですね

今思えば、プライドも偏見も無く、弱みをさらけ出して周りの助けを請いながら、新しい業務に入って行けるのが私の強みかも知れません。組織の足りない部分、周りが困っている部分を埋めるために、四の五の言わずに自分から学んで動く。そうすることで、未整備な会社が成長していく経験をしてきましたし、周りの人に感謝されるのが嬉しいんですよ。
そういえば、NHK時代にも、同じようなことがありました。釧路でスポーツのローカルニュースを担当していたとき、アイスホッケーの3分間のコーナーをつくったんですよ。自分も出演してインタビューや解説までやって、何とかこのマイナーなスポーツを盛り上げようと。そのときに多くの選手から感謝されましたし、アリーナで観客の方に「この下火になったスポーツを取り上げてくれてありがとうございます!!」声を掛けられることもあった。
そのときの嬉しさを再現したいんだと思います。一方で、事件や事故の方がニュースバリューがあるから、より熱心に取り組むべきなのですが、そこまでのやりがいを感じられなかった。ジャーナリストとしては、やはり失格だったんだと思いますね。

「成長したChatworkに自分の居場所はない」そう感じる古株メンバーを無くしたい

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――上場後もChatworkの組織は成長を続けていますが、どのようなミッションを遂行しているのでしょうか?

2019年9月の上場後、コロナ禍による需要の急騰もあって、Chatworkは急速に成長しています。事業が拡大して組織も大きくなることは、非常に喜ばしいことではあるのですが、今までとは違う課題が出てきているのが正直なところです。上場後の1年半で、約100名→約200名と社員数が倍になっています。そこで問題になるのが、昔からChatworkを支えてきた社員たちが、変わらずに活躍できるか、ということ。会社のカルチャーが急速に変わっていく中で、順応できずに「昔のChatworkの方が好きだった」「今の会社には自分は必要とされていない」と感じてしまって、モチベーションがダウンしてしまう。そのような事態は、何としても避けたいと思っています。
私自身も、NHKからシナジーマーケティングに移った際に、全く順応できなかった期間がありました。記者以外の経験が無いので、仕事の指示をもらっても、指示自体の理解すらできなかった。完全にお荷物社員で、このままではクビになる、社会人として価値がなくなってしまうんじゃないかと不安で不安で、毎日出社するのがやっとの状態。昼休みなんかは、誰ともしゃべりたくなかったので、机に突っ伏して寝たふりをして過ごしていた。
あのときの辛い気持ちを、今のメンバーのみんなには味わって欲しくないんですよ。自分が組織で必要とされなくなると、自らの人格やこれまでのキャリアまで否定して、どんどん深みにはまってしまう。仮にそうなりそうなメンバーがいたら、何としてでも引き上げてあげたいのです。私自身は、そのときの社長がそばでずっと見てくれていたので、何とか復活できた。あれには救われましたね。感謝しかありません。
だから私も、現場メンバーとの1on1やちょっとした雑談を徹底的にやる。自分の弱さもさらけ出す。記者時代と同じです。捜査課の課長や村長の世間話に耳を傾け、こちらからの自己開示も進めることで、信頼関係を築いてきました。その信頼があってこそ、心が通じ合い、何でも相談できるようになって、特ダネが生まれることもあった。「取材対象者と記者」「上司と部下」ではなく、「人と人」としての関係性をこれからもつくっていきたい。そうすれば、心を塞いでいるメンバーがいたとしても、新たな活躍の機会を提案できます。また、仮にChatworkを去ることになっても、次のキャリアを心から支援することができる。そう思います。

事業の成長よりも、そこにいる人たちの幸せを、私は大切にしたい

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――今後の自身のキャリアをどのように考えていますか?

これは、自分の弱みかも知れませんが、事業が成長することも大切ですが、事業を回している人たちが楽しく働いていることがもっと大事だと思っています。世の中のより多くの人たちにChatworkのサービスを使ってもらうのはもちろん嬉しいです。ただ、正直に言えば、それを支える人たちが喜々として働いているかどうかを、私はどうしても重視してしまう。
Chatworkという会社、文化、メンバーたちが大好きだし、このカルチャーを壊したくないんですよ。どんなに事業で成功を収めようとも、大事にしたいのです。そのために一人ひとりのメンバーと徹底的に向き合うのが、私の使命だととらえています。その活動と通じてメンバーに必要とされるのがぶっちゃけ嬉しいですし、そういう生き方しか私にはできない。仮にChatworkが500人規模になって、自分がメンバーに必要とされなくなったら、別の会社に移るでしょう。
やっぱり人それぞれで、幸せの定義は違うんですよ。警察官、町長、村長、スポーツ選手、企業勤めの人たち。その多くの人生に触れる中で、幸せの種類は人の数だけあることを実感しました。だから、Chatworkの一人ひとりのメンバーにも、それぞれの幸せを実現してほしいですし、常にその支援をする組織をつくっていきたい。いま私の頭にあるのは、それだけですね。