Cha道

Chatworkの「人」「組織」を
伝えるメディア

組織のベクトルを一つにするために、 私はエンジニアでなくなってもいい。

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中学生時代から個人でのコンテンツ開発に携わった。
大手企業での研究開発職を経て、Chatworkにジョインした宮下 竜大郎。
ネイティブアプリの開発業務を通じた自身の成長と、ぶつかった葛藤があった。
プロダクトと組織、そして自分はどうあるべきなのか。
掲げた理想と実現のプロセスについて、本音とともに語ってくれました。

■プロフィール

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プロダクトマネジメント室プロダクトマネージャー
宮下 竜大郎

東京電機大学 情報メディア学専攻を卒業し、2011年に不動産情報サイト『LIFULL HOME'S』を運営する株式会社LIFULLに入社。エンジニアとして研究開発部門に所属。2013年にChatworkにモバイルエンジニアとしてジョイン。Androidチームのリーダーを経て、2019年1月よりプロダクトマネージャーとして全社の開発を牽引している。

中学生時代の「着メロ」開発がエンジニアとしての原点

――開発やプログラミングに興味を持ったきっかけは?

家にPCが来たのが中学生のときです。まず最初にやってみたのが、着メロの制作でした。当時はガラケーの普及が一気に進んだ時代。そこで最も注目されたコンテンツが着メロだったのです。中学生なのでお小遣いも少なく、好きな曲があってもなかなか買えなかった。だったら、自分でつくってみようと。

――中学生が自分で!?できるものですか?

当初は「自分にはつくれる!」という思い込みだけでやっていました(笑)。NECやパナソニックなど、端末メーカーごとの仕様を調べて、音楽作成用のソフトに曲を打ち込んで形にしていきました。桑田佳祐の『波乗りジョニー』などを制作して友人に配ったら、むちゃくちゃ喜んでくれたんですよ。「えっ!タダでもらえるの!?」「ちゃんとそれっぽく聞こえる!すげえ!」みたいな感じで、目の前で驚いてくれた。嬉しくなって、着メロのダウンロードサイトまでローンチしたら、顔を合わせたことのない人からも反響をもらって、どんどんのめり込んでいきました。自分でモノをつくって、その反応を見ながらさらに良いものをつくっていく。このときに感じられたものづくりの醍醐味は、自分の中でも原点になっていますね。 

大手企業の研究開発部門へ就職。そこで感じた、ひとつの違和感

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――その後はどういう進路を歩みましたか?

その後、東京都立科学技術高等学校に進学。東京都内では当時唯一の「科学技術科」を持つ学校でした。大学は、東京電機大学の情報メディア学科を選びました。単に技術を学ぶだけではなく、情報がどう人に伝わるのかを知りたかったのです。

専攻は自然言語処理。Googleなどの実績を見て、「これは世の中を変える魔法の技術だ!」と感じたんです。当時、所属していた研究室で共同研究を行っていた東京大学の先生が、産学連携ベンチャーを立ち上げていて、私もその会社でアルバイトとして働くことに。その会社が大手不動産情報サイトを運営する「株式会社LIFULL(当時:株式会社ネクスト)」に買収されて、私自身も新卒として入社したのです。

――LIFULLではどのような仕事を?

買収された会社ごと、研究開発部門に配属になりました。次世代の要素技術を幅広く研究する部門だったので、自然言語処理以外の技術にも関わりました。その中でも、2年目にマーケティング部門から依頼された仕事が印象に残っています。ユーザーの行動履歴をもとに、最適な物件情報をメールで提供する機能を開発しました。要件を絞り込んで、およそ2週間で開発したのですが、ユーザーのアクションの促進にもつながったみたいで、マーケティング部門からは一定の評価をもらえたのです。

ただ、ふと思ったのが、「着メロをつくっていたときの方が楽しかった」ということ。自分で熱心に開発したものを、ユーザーがつかってくれている姿を目の前で見られて、その生の反応も受けられる。喜んでくれることもあるし、失望されることもある。予想外の返しをされることもある。その「全身で感じられるフィードバック」を、大手企業の研究開発部門ではユーザーまでの距離が遠くなってしまって、得ることが難しかったんです。

モバイルアプリを自前で開発。その先にあったのが、Chatworkへの転職だった

――そこから、どのように次のキャリアを考えましたか?

2013年当時は、スマホ上でのサービスが爆発的に普及していた時期でした。「この波に乗って、多くの人から反応をもらえるモノをつくりたい!」と思って、業務外の活動でアプリを開発していたんです。注目していた技術が「Titanium Mobile」。JavaScriptを用いて、iOSとAndroidのアプリをひとつのソースコードで開発できる技術です。最先端の開発を行っている実感もあり、かなりハマりましたね。コミュニティに所属して意見交換するのも、楽しくて仕方がありませんでした。

そこで、「どうせなら、こちらを本業にしよう」と転職したのがChatworkです。Titanium Mobileを使ってビジネスをしていたこともあり、コミュニティで存在感を放っていて、事業としても可能性を感じました。個人同士のチャットは昔からあるサービスですが、それをビジネス向けにリデザインする発想と、市場をゼロからつくっていく挑戦心に惹かれたんです。

――そうは言っても、大手から当時のベンチャー企業への転職になりますが。

当時のChatworkは30人足らずの会社。もちろん不安もありました。LIFULLに比べて福利厚生も整っていなかったし、組織も脆弱。ビジネスチャットを普及させるまで、果たして自分も会社も持つのかと。正直、先が見えない部分もあった。でも、自分の好きな技術にどっぷり浸かれるワクワク感と、ユーザーからのフィードバックを受けながら、より良いプロダクトをこの手でつくっていける。その期待感が勝ちました。

辛辣な意見にも負けない。フィルタ機能を100倍のスピードに

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――Chatworkに入社後は、どのような業務を?

入社後に担当したのが、iOSアプリのリニューアルです。Titanium Mobileを活用して、より速く、より安定したものにバージョンアップするのが仕事でした。一段落したら、Androidアプリにも大きく手を入れました。2013年当時は、Chatworkはそこまでメジャーなサービスではなく、新しいモノ好きのITエンジニアがメインのユーザー。彼らは、まあ目が肥えている(笑)。こっちが頑張って改修したとしても、辛辣な意見をいただくこともありました。

そこであきらめずに、何とか少しでも喜んでいただこうと改善したものの一つが、「チャットルームのフィルタ機能」です。未読チャットのみをワンタッチで表示させるもので、チャットの数が増えるとどうしても動作が遅くなっていた。泥臭く改修して、数値上では100倍のスピードで処理できるようにしたところ、「あれ、速くなってる??」「ストレスが減った」といったコメントをようやくいただきました。あのときは嬉しかったですね。

培ったスキルを捨てた。ゼロからのスタートが楽しかった

――早くも自身のスキルを発揮できたわけですね。

ただし、喜びも束の間。新たな壁にぶち当たります。それが「Titanium Mobileの限界」です。iOSとAndroid、それぞれのネイティブアプリをObjective-CやJavaで開発するよりも、どうしてもやれることが限定される。特にAndroidでは、改善したいと考えていた項目の半分以上がTitanium Mobile起因で実装ができない事態に陥りました。これはマズいと思い、これまでの積み重ねや自分の技術的なこだわりを捨てて、Androidアプリのネイティブ化を当時のマネージャーに進言しました。迷いは無かったです。

当然、社内に実績はないので、技術をゼロから習得するところからスタート。Titanium Mobileのコードと照らし合わせながら、ネイティブでの実装手法を推測することで、何とか一歩ずつ進んでいきました。正直、苦労はしましたが、次第に楽しくなってきたんです。ゼロから試行錯誤しながら何かを生み出すプロセスが、中学生時代の着メロの開発に似ていたからだと思います。

「弱みのコラボレーション」が成果に。「一人だけのものづくり」からの脱却

――ネイティブ化のプロジェクトの結果は?

2014年の3月末からスタートしたこのプロジェクトは、同じ年の12月に完了。「Chatwork の Android アプリ、まともになった!」というコメントをTwitterでいただいたときは、苦労が報われた感じがしました。「良くなった」ではなく「まともになった」という表現がいいですよね(笑)。その後は、社内でもAndroidアプリが成功事例としてベンチマークされるように。iOSチームにも多くのことを参考にしてもらい、Chatwork全体の品質向上に寄与できました。

――このプロジェクトを通じて、何か気付きは得られました?

この頃からですね。モノをつくって世に出して、その直接的な反応が生きがいだったのが変わり始めたのは。自分一人だと大きなことはできないと気付き、チームで成果を出すことに新しい喜びを感じるようになりました。このAndroidのプロジェクトにおいても、メンバー同士の「強みと弱みのコラボレーション」があったからこそ上手くいった。それぞれが得意なスキルを発揮するだけではなく、弱みを共有しあって自発的にフォローしていく。すると、毎日に刺激が生まれて一人ひとりが成長できるし、影響力のある大きな仕事ができた。視界がパーッと開けたんですよ。

「まともなモノがつくれない」辞めようと思ったときに、この会社が積み重ねてきたものに気付いた

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――Androidのプロジェクトで実績を挙げた後は?

良い成果を挙げられましたが、その状態は長くは続きませんでした。プロダクトのクオリティが向上し、ビジネスとしても上手く行き始めて、組織が拡大していきました。もちろん、それ自体は喜ばしいことだったのですが、新しい人がどんどん入ってくることで、一人ひとりの「目指したいChatwork像」の違いが散見されるようになった。「こういう人がターゲットだから、この機能を開発したい」「いや、俺は違うと思う。自分が使っていると、ここが不便だから先に手を付けるべきだ」のように、一人ひとりの方向性がバラバラで、プロジェクトが健全に進まなくなったのです。あ、これはマズいなと。

――なぜ、マズいと思ったのですか?

適切なユーザーに適切なモノを届ける。チーム全体でその姿勢を徹底することで、プロダクトに一貫性を持たせることができて、よりシャープに磨かれていく。当時はこの一連の流れが成り立たない状態にあったので、「このままだとまともなモノがつくれない」と感じたのです。最初は自分でなんとか組織をまとめようと思っていたのですが、だんだん気持ちも萎えてきて、転職も考えました。自分のやりたいことがストレートにやれる場所に、もしかしたら移った方がいいんじゃないかと。

――そこまで追い詰められていたのですね。。

そこで、今後のキャリアを考えるために、入社してから今までのことをじっくり振り返ってみたんです。そのときは、Chatworkに入社して6年目。ビジネスチャットの市場が無かった状態から、みんなで色々考えて、成功も失敗も味わって何とかここまでやってきた。一人ひとりのエンジニアのスキルも格段に成長しましたし、プロダクトの影響力も圧倒的に大きくなっている。

しかし、プロダクトの方向性が揃わないだけで、ここまで多くのことを無くしてしまうのは、非常にもったいない。組織としてもありえない。そこで、「みんなのためにも、自分が何とかしなくては」と使命感がわいてきたのです。楽しく刺激し合いながら開発をしていた日々を取り戻す。組織のベクトルを一つにするためには、自分がエンジニアでなくなってもいい。そう決意しました。

プロダクトマネージャーの役割は開発の目的を掲げて、現場の作業とリンクさせること

――具体的にはどのような動きを?

2019年1月から「プロダクトマネージャー」にジョブチェンジしました。Chatworkの機能開発における「Why:なぜ」と「What:何を」を決めて、現場とエンジニアと伴走しながら実現していくポジションです。2019年1月当時、プロダクトマネージャーは2名。ただし、技術的なバックボーンを持つ人はいませんでした。まずは、私が彼らと現場のエンジニアとの間に入って、双方の要望を調整するようにしたのです。

たとえば、プロダクトマネージャーに対しては、「その機能を実装するには技術的な難度が高いので、他を優先しましょう」と技術的な観点をインプット。エンジニアに対しては「この機能の開発は、ユーザーにとっても事業にとっても意味があるので優先してください」と、開発の先にある「Why」を説明するように心掛けました。そのときには、ターゲットとなるユーザー像や実際の声も併せて提示することで、納得感を持ってもらおうと意識しています。

――開発現場の雰囲気は変わりましたか?

現場のエンジニアからは「開発の目的と作業内容がリンクすることで、迷い無く仕事ができるようになった」と声を続々と聞くようになり、現場に活気が戻りました。「Why」の説明だけではなく、「What:何をつくるのか」やエンジニア視点で「How:具体的にどうやってつくるのか」まで、みんなと一緒に議論してきたことが良かったのだと思います。

プロダクトマネージャーは、もちろん調整だけではなく、プロダクトの機能の方向性を決める役割を担います。そのためには、現状の課題を認識することが不可欠です。Twitterのユーザーコメントやカスタマーサポートから提供される情報には、ずっと目を通し続けています。すると、何らかの変化に直面するのです。「あ、この要望が最近増えているな」「この業界からの不満が頻繁に上がるようになったな」といった変化をもとに、追加機能を決めていくことが多いですね。ちょうど今、2つの大きなプロジェクトを進めていますが、同じようにスタートしました。

全てのエンジニアが、プロダクトマネージャーになる。そんな組織を目指したい

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――そして、これからの目標は?

それぞれのメンバーが、同じ方向を見ながらものづくりができれば、「一人ひとりがプロダクトマネージャーである」とも言えるでしょう。自分自身で「Why」と「What」を腹落ちできた上で自走している。そのような状態をつくるのが私の使命だと感じていますし、達成できた際には、Chatworkのエンジニアたちは今よりも数段上のレベルに成長しているでしょう。

――最後に、個人としてはどのようなキャリアを歩みたいですか?

僕自身は、技術とマネジメント、双方のスペシャリストであり続けたいですね。実務はプロダクトマネジメントに特化していますが、エンジニアとしての活動は業務外でも進められますから、腕を錆びつかせないようにしたいですね。プロダクトマネージャーには、3つのスキルが必要だと言われています。1つはビジネスを構築できる力、もう1つはユーザーとのコミュニケーション能力、そして3つ目がデベロッパースキルです。自分自身の経歴から、この3つ目のスキルで独自性を発揮できると思っていますし、着メロをつくっていたときの感覚は、やっぱり今でも忘れられないんですよね(笑)。